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三島由紀夫没後40年目の憂国忌(1)

 昭和の文豪・三島由紀夫が民兵組織「盾の会」のメンバー4名を率いて自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)総監室を占拠し、自衛隊員にクーデターを呼び掛ける演説後に自決したのは、1970年(昭和45年)11月25日の白昼であった。盾の会学生長の森田必勝(まさかつ)は、切腹した三島を介錯(苦しまぬよう首をはねること)しようとするも失敗し、森田も切腹。居合の心得のあった古賀浩靖(ひろやす)が二人を介錯した。

 三島と森田の命日11月25日は「憂国忌」と呼ばれ、今年は没後40年に当たる。東京都千代田区の九段会館大ホールにて催された追悼会には1000名以上の参列者が集ったそうである。第一部は松本徹(三島文学館館長)を祭主とする鎮魂祭で、乃木神社宮司による儀式などがなされた。第二部は「あれから40年。日本はどこまで堕落するのか」と題し、宮崎正弘、井尻千男、遠藤浩一、桶谷秀昭、西尾幹二らによるパネルディスカッションが行われた。

 没後40年を経た今もなお人々を魅了して止まない三島由紀夫とは、果たしてどのような人物であったのか。ここでおさらいしてみたい。彼の本名は平岡公威(ひらおか・きみたけ)。1925年(大正14年)1月14日に、平岡梓と倭文重(しずえ)の長男として生まれた。農商務官僚だった父親の同期には後に総理大臣となる岸信介がいて、母親は橋健三(漢学者)の次女である。16歳の時に書いた小説「花ざかりの森」で三島由紀夫の筆名を初めて使い、同名の処女小説集を出版したのは19歳の時だった。

 その後25年に渡り『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』など多数の名作を残し、1970年(昭和45年)11月25日に満45歳で自決した。昭和45年に満45歳だったことからも分かるように、彼の人生は昭和と共にあった。三島の生まれた翌年1926年(大正15年)12月25日は昭和元年であり、三島が生まれる4年前の1921年(大正10年)11月25日は昭和天皇が大正天皇の摂政として公務を始めた日でもある。昭和天皇は三島自決から19年後の1989年(昭和64年)1月7日に崩御された。

 ※三島由紀夫没後40年目の憂国忌(2)につづく(工藤伸一)

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