そんな夫婦そろって近い距離で接していたのが、SMAP時代の中居正広だ。そもそも中居は、野球少年。小学生のときは、大人になったらジャイアンツの選手になれると信じて、とにかく野球に打ち込んだ。しかし、小5のとき、未発達な成長期に起こってしまう野球肘になってしまい、家計の事情によって手術を断念。万全なピッチングができなくなり、中学進学後は野球をあきらめた。
これは、中居少年が初めて経験したターニングポイントだ。野球生活に別れを告げたことによって、中学生で不良少年になった。そして、テレビでキラキラ光るアイドルを見て衝撃を受けて、みずから履歴書を送付して、ジャニーズ入り。SMAP結成につながった。今年で入所ちょうど30周年で、今なお生き馬の目を抜く芸能界で最前線を走っているのは、ノムさんと野球を通じて会得した成功の掴み方と、若くして味わった挫折が影響している。
少年野球に打ち込んでいたころは、1番でサードだった。ところが、小4のとき、「自分がピッチャーになったら、このチームは強くないから、やめたほうがいい」と考えるようになり、「チームのために自己犠牲。だから、私利私欲がなくなる」という結論にたどり着いた。これはのちに、名著『野村ノート』(小学館)に通じることとなる。
同著は、ノムさんが05年に上梓したベストセラー。人と組織を変えて成功に導く、名将の野球哲学で、試合や選手の具体例を挙げながら、配球術から采配、選手の育成法ほかを多岐にわたって解説。弱小だったヤクルトを毎年優勝争いに絡めるまで成長させた、名伯楽のビジネス書だ。
野球という実体験を通じて、野村流成功法を学んだ中居は、同著を愛読した。そして、SMAPというチームで勝利をつかむには、自分が先陣を切るのではなく、当時抱かれたい男として不動の地位を確立していた木村拓哉を4番バッターにすることだと悟った。その采配は、見事にヒットした。
ある時期から読書家になった中居は、歌野晶午や松本清張、東野圭吾や宮部みゆきほか、さまざまな書物を読むようになった。自宅で焼酎を飲みながら、読書をしたり、野球を観たり、開幕戦の予想を立てたり、仕事の台本を読むのが至福の時。常に、数冊の書物を併読しているため、カバンに必携だ。
努力を人に見せないことで有名な中居。SMAP成功のウラに、ノムさんあり。キムタクバブルは中居が企てたといっても過言ではないのだ。