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ケイリン徒然草 互いが互いを意識し合い第一期黄金期を作った石田雄彦と吉田実

 石田雄彦(大阪)は吉田実(香川)にもの凄いライバル意識を持って闘った。昭和25年1月、15歳6か月で和歌山からプロ登録した石田は、吉田よりも半年早くデビューした。

 「体も出来ていなかったし、まあ長いこと勝てなかった。賞金もろくろくあらへんから、建築会社で斡旋の合間にはバイトをしとった」
 少年時代の石田はもっぱら筋肉労働で体を作った。昭和31年の競輪祭を制して特別のタイトルを獲ったのは21歳の時だ。
 吉田との争いは激烈を極めた。昭和33年石田が賞金ランク1位の時には吉田は2位。昭和35年には再び石田1位、吉田2位だったが、石田579万、吉田557万と僅差だった。
 昭和36年には吉田が1位、石田は2位にとどまったが、その差は39万しかなかった。
 「みーちゃんと乗りあわせると燃えるんや。つい強引にいってしまうんや」
 昭和39年の後楽園日本選手権、松川周次郎―吉田実の香川ラインを分断した時には2着失格。笹田伸二(徳島)の追い込みに敗れた上に、失格の憂き目を見た石田は珍しく激怒して審判ビデオの説明を受けにいった。皮肉にも翌40年の後楽園日本選手権では白鳥伸雄(千葉)が1着失格、2着ゴールの石田が繰り上がって1着になっている。
 同じ昭和9年生まれの2人が一つの時代を作り高原永伍(神奈川)平間誠記(宮城)のひとつ前の時代にファンを沸かせ競輪の人気を高めていったことは確かだ。
 石田が獲ったタイトルは昭和30年の競輪祭で21歳の時だった。31年の川崎オールスター、34年の後楽園日本選手権、35年の高松宮杯、39年の後楽園日本選手権の5つ。それに松本勝明(京都)に次いで昭和47年5月の四日市でプロ入り22年4か月で千勝を果たした。43歳で千勝したのだから、これは凄い。
 年間最優秀選手も第1回の昭和35年。続けて36、37年と3年連続で獲り、38年には白鳥伸雄が獲ったが、翌39年には再び石田が栄誉に輝いた。
 のちに中野浩一(福岡)の6年連続、通算7回。滝沢正光(千葉)神山雄一郎(栃木)の4年連続の記録はあるが、ライバル吉田は一回も最優秀選手に選ばれていない。ただ、通算勝数は吉田が1232勝、石田は1160勝と吉田が勝っている。とまれ、このライバルが第1期競輪の黄金時代を作ったことは間違いない。

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