この作品、1作目と世界観設定以外にストーリーに連続性はないのだが、前作が丹波ワールド全開の世界の解説に留まったのに対して、本作では、丹波が絶対にあの世にあると確信していた大霊界をベースに、王道の冒険活劇にしているのが特徴だ。しかし、今作では総監督ではないとはいえ、脚本は丹波が担当しているので、王道でありながらどこかズレており、そこが珍妙な魅力となっている。俗に言う「パート2作品」の中でも“前作と比べて”完成度は高い部類だろう。
前作を観ていなくても問題はないストーリーラインにはなっているが、前作で言及された「死は霊界への里帰り」「死後の世界は素晴らしい」「自殺は大罪である」という丹波の死生観を踏まえておくとより楽しめる。いや…、混乱しない。
ストーリーは、丹波哲郎演じる岡本亮が、妻殺しをしたと無実の罪を着せられ、死刑になるところから始まる。自分が死んだことを理解できない描写は前作と同じなのだが、なぜかこの後に、「一回乗ってみたかったんだ!」と嬉々として、囚人護送車の警察官に乗り移り、カーチェイスをするシーンが挟まれる。これは霊界で問題にならないのだろうかと、疑問はあるが、特にそのことに関しておとがめなし。何事もなかったように、前作同様に霊界で天使に説明を受けるあたり、この作品に超越した何かを感じることだろう。
この現世パートは、丹波がやってみたいことを大量に詰め込んだのか、色々とっ散らかっているのだが、ちょっと笑えてしまったり、ほっこりしてしまうなど、これはこれでいいやと許容できてしまう妙な勢いがある。前作では霊的現象があると、いちいち丹波自身がナレーションで解説していたが、それらを本作では取り払ったので、結果的にテンポが良くなっているのだ。
なかでもオススメシーンは、戦時中の国民服を着た浮遊霊と岡本の会話シーンだ。その浮遊霊が「俺くらい戦争帰りの兵隊待ってねえと、かわいそうだ」と話していると、旧日本軍姿の兵隊の幽霊たちが、『歩兵の本領』を歌いながら帰ってくるのだ。これは、当時のバブル景気の熱狂や、それ以前の高度経済成長期などで、過去が忘れ去られていくことに、丹波が疑問を感じて入れたシーンかもしれない。このシーンの丹波の兵隊を見送る敬礼が印象に残る。
しかし、まだこの展開は、丹波ワールドのさわりのようなものだ。本題はこれから。霊界では、かなり長い尺を使っての天使のダンスや、死んだ妻と再会し、主人公の岡本が若返り、丹波哲郎が特撮の変身のような演出で、実の息子である丹波義隆になるなど、笑える奇妙なシーンが満載だ。ジュディ・オング演じる女神も、真面目な話をしているのにも関わらず、その雰囲気や世界観が独特すぎるゆえに、所々で笑いを提供する。ストーリー的には中だるみだが、視覚的にはこれほど強烈なものもそうないだろう。
さらに、この霊界での岡本の決断が、この作品での重要な転換点となっている。岡本は、死後の世界が「こんな素晴らしい世界と知らなかったから、お礼がしたいんだ」と、自身を騙して死刑台の追いやった真犯人、弁護士の矢代の元に「霊界は素晴らしいところだ」と挨拶をしに行きたいと言い出すのだ。この狂気の善意とも言える言葉はかなりのインパクトだし、この提案をあっさり受け入れる霊界もどうかしているよ。
死んだ人間ということで当然、矢代には岡本とその妻は見えない。というわけで岡本は矢代の体に乗り移って勝手にノートにメッセージを書いたり、ポルターガイスト現象を起こすなどし“善意”で必死に自分がいることをアピールする。結果的に、これを崇りだと思った矢代は自殺してしまうのだが、この作品では自殺は大罪ということになっているので、一番過酷な地獄に落ちてしまう。ここで責任を感じた岡本が地獄から矢代を救おうと地獄で冒険スペクタクルをみせるわけだ。
本作は前作のように丹波の確信する死後の世界を解説するものではないので、丹波の常人にはわかりかねる死生観と、ある程度しっかりしたストーリーラインが絡み合い、独特の魅力にあふれる作品になっている。目からビームを発射する天使や、比較的罪の軽い人間が行く地獄が場末の飲み屋街のようだったりと、視覚的に笑いを誘うシーンも、狙ってか、天然なのかは定かではないが、随所にちりばめられている。おそらく、前作が肌に合わなかった人でも楽しめる内容だろう。また、岡本に死刑判決を下す裁判官が、タモリと明石家さんまだったり、丹波のネームバリューで集めたであろう、多彩なチョイ役の確認などでも楽しいかもしれない。
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)