『タリウム少女の毒殺日記』は、昨年秋の東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門で作品賞を受賞し、今年1月から2月にかけて開催されたロッテルダム国際映画祭に正式出品。賛否の激論を巻き起こしている。同時に、感情の見られない少女を演じた現役女子大生・倉持由香(21歳)の演技に注目が集まっている。倉持に、作品への思いを聞いた。
−−脚本を読んだ時、何を感じた?
「土屋監督が設定したタリウム少女は、いじめられている自分を観察することで、現実逃避しているのかなと思いました。『私、観察してるだけだから、いじめられてても、何も感じないし』とか、『お母さんとか、ハムスターとかだって、観察してやるし、私』みたいな。少女は、世の中の全ての物事をつまらないと感じています。言ってしまえば、病んでしまっている少女だと思いました」
−−少女は、社会に希望を持てなかった?
「そうだと思います。少女のせりふに、『神様なんて、いないよ』という言葉があるのですが、いないなら自分が人間のフォーマットを飛び越して、神様になって、動物・昆虫・人間…そういった地球上の全てを観察してやるぞと思ったのかなと思いました。神様になりたかった少女なのかもしれませんね」
−−そんな少女を、どう演じようと思った?
「実は、少女には、名前がないんです。劇中でも、ただ、少女なんです。面白いなと思いました。人格が与えられると、役作りはきりがないと思うのですが、この少女は、ただ少女。初期アバターみたいだと思いました。何もない少女です。演じるに当たっては、目線と、しゃべり方のトーンと、ただ空っぽでいることだけを意識しました。監督からも、『ただ空っぽでいてくれ』と言われていました」
−−解釈や感情移入をしないで演技に臨んだということ?
「そうです。この作品は、いかに淡々とやるかがキーだと思いましたので。もし、動物を解剖したり、標本にしたりする場面で、演じている私から嫌だなというそぶりが出てしまったら、全てが台無しになると思いました。なので、倉持由香としての自分の感情は出さないようにしました」
−−振り返って、少女に共感できる所はある?
「(今その場の風景を衛星写真で参照でき、電子信号で居場所やいた場所がすべて記録され、写真や画像が瞬時に共有されるというような)ネット管理社会の現代では、ハムスターと同じように、人間も檻の中に閉じ込められていると感じ、そういった人間のフォーマットを飛び越えたい、人間をぶっ壊してやりたい、新しいモノになりたいという少女の考え方には共感できます」
映画の中では「空っぽ」の少女を演じた倉持だが、インタビューでは、どんな質問にも、気さくに答えてくれた。目の前で楽しそうに話をする倉持と、劇中で少女を演じた倉持は同一人物なのだが、映画では、主人公の少女が新しい実験を始める。そこへ至る過程がクライマックスだ。
−−作品の中で、一番気に入っている場面は?
「(髪の毛を掻きむしって絶叫する)発狂のシーンです! 予告編にも、ほんの一瞬入っているのですが、実は、あの場面は、NGが入らず、監督から一発OKをもらったんです! 私自身が過去に経験したことを生かしつつ、演じました。私自身の思いが込もった発狂っぷりになっていると思います!」
倉持は現在、グラビアアイドルとしても活躍中で、インターネット世代の一部から絶大な人気を誇る。「本作と出会ったことで、演技に対しての意識が変わりました」と笑顔を見せた倉持に、今後の活動を聞いた。
「グラビアアイドルという軸はぶれたくないと思います。本作では、パンチラしちゃってるんですけど(笑)。グラビアのセクシーさと、妖艶さを持った女優になりたいです。本作で『病んだ目がいい』と言われたので、私の病んだ目を見てほしいです。今後やりたい役は、猟奇的な女の子」
インタビューの最後、倉持は、「今回はたまたま運が良くて主演に選んでいただいたのですが、演技の勉強をして、もっと、もっと、うまくなって、オーディションなどで役を勝ち取って、実力で主演になりたいです」と瞳を輝かせた。
倉持由香、大器か。
(インタビュー・竹内みちまろ)