NPB4球団、韓国2球団を渡り歩き、今年は社会人チーム・伊達聖ヶ丘病院(北海道)で活躍した門倉健投手(39)である。
門倉は打者5人と対戦し、被安打ゼロ。奪三振「3」、与四球「1」、内野ゴロ「1」と“結果”を残している。39歳という年齢からも分かる通り、ストレートには往年のスピードはなかった。しかし、ピッチングは巧い。さらに巧くなったと言っていいだろう。『フォークボール』の落差は20代と変わらず、対戦打者が手を出したくなるような“絶妙な高さ”に集めていた。
その門倉投手が登板後、囲み取材に応じてくれた。
−−何故、2回目のトライアウトだけを受験したのか?
「しっかりと調整するためです。その準備を…。今日は準備してきたことができました。『まだ(現役で)できる』という気持ちがあるし、社会人(野球)で1年を通してやってきたことも。(合否の)結果はどっちに転ぶか分からないですが、常に心の何処かにまだやれるという気持ちがずっとあって、そういう気持ちでピッチングができたので、今後に進めると思う」
2011年は韓国・三星ライオンズに所属していた。しかし、7月に不振で二軍降格。ウェバーにもかけられたが、獲得に名乗りを上げる球団は現れず、『退団』を選択した。楽天、日本ハムの入団テストを受けたが、日本球界復活は果たせず、今年4月からは北海道伊達市のクラブチーム『伊達聖ヶ丘病院 硬式野球部』に入団。「昼間は病院の事務職、夕方から練習」という、今までとは違う厳しい環境で野球を続けてきた。
「アマチュアは一発勝負の世界ですからね(トーナメント)。1球の大事さ、重み、怖さを感じました。また、仕事をしながら皆と野球をやっているので、プロの成果とは違う厳しさも経験させてもらって、色々な人に後押しをしていただき、『プロに帰って!』と励まされてきました。病院では事務局です。お年寄りの皆さんとも接する機会が多いんですよ。お年寄りの皆さんが元気になられるのであればこんなに嬉しいことはないし、いい経験をさせてもらったと思っています」
社会人では『天国』と『地獄』を味わったのではないだろうか。
『都市対抗野球 北海道1次予選1回戦』(5月25日)では、7イニング参考ながら、完全試合を達成。チームは本大会に進めなかったが、『JR北海道』の補強選手として、巨人時代の本拠地でもある東京ドームに帰って来た。しかし、1回戦(トヨタ戦)の同点で迎えた7回裏だった。必勝体制でリリーフ登板されたが、まさかの決勝2ランを浴び、敗戦投手になってしまった。門倉は「申し訳ない」の言葉を繰り返していたが、まさに、「1球」に泣くトーナメントの怖さを思い知らされたようだった。
また、門倉投手のトライアウトに臨むに当たって、自身のブログのなかで<合格すればもちろん現役続行 不合格なら引退>と、“衝撃的なひと言”も綴っていた。
「自分のなかで、やっぱりまだ何処かに『(現役を)やれる』という思いがあって、また、自分自身に区切りをつけるために(トライアウトを)受けました。社会人チームからオファーが来たら? 今日(トライアウト当日)、この時点で聖ヶ丘病院のメンバーなので、そういうのは考えにくい」
門倉投手は「自分を必要としてくれるところなら、何処へでもいく。また、これまでも必要としてくれるところを求めて戦ってきた」とも話していた。登板を終え、記者団の前に現れたときの表情は本当に穏やかだった。NPB、米マイナー(招待選手)、韓国、そして、社会人野球…。タフネスピッチャーが穏やかな表情を見せてくれたのは、トライアウトのマウンドで全てを出し切った達成感だけではないだろう。様々な野球環境で得たものも大きかったからである。(スポーツライター・美山和也)