有吉はお笑いコンビ猿岩石として相方の森脇和成と共に、1996年に『進め! 電波少年』(日本テレビ系)で、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクに挑戦し大ブレークを果たす。だが、その後は人気低迷が続き、「どん底かと思ったらさらに底があった」経験をする。ただ、猿岩石の解散直前には『内村プロデュース』(テレビ朝日系)で、プチブレークを果たしたこともあった。さまぁ〜ずとはその頃からの付き合いである。
三村マサカズは有吉のどん底時代について、「朝からウイスキー飲んで『俺は小説書くんだ』」と言っていた。さらに、大竹一樹からも「ドン・キホーテのパーティーグッズのキャンペーンボーイをやっていた」と暴露されていた。これには、ネット上で「有吉って酒飲めるから、その分アル中とかになんなかったのかな」「わりと内にこもっていくタイプかも」といった声が聞かれた。
さらに、さまぁ〜ずの2人は有吉の才能を早くから買っていたようで、2014年の第12回『IPPONNグランプリ』(同)で優勝した時も、大竹は「15年くらい前からやっていたのは知っていたと(周囲に)自慢した」と話し、三村も有吉の現在のブレークのきっかけとなった毒舌あだ名芸がフィーチャーされた時も「前から面白いのは知っていた」と話した。さらに、ブレークし始めの時に、さまぁ〜ずが自身の番組に起用すると、「固い硬球(わかりにくいボケ)を投げつけてくる」と有吉の気質を話していた。大竹は「いつでもやめてやるっていうのはあるのよ、こいつの中で」と話し、有吉も「怪我させることでなんとか爪痕を残そうとしていた」と振り返っていた。これには、ネット上では「有吉って芸人として狂気を持ってるんだな」「売れようとしてコビ売っていないところがいいね」といった声が聞かれた。芸人としてのポテンシャルは十分なだけに、有吉はこれからもブレークを続けそうだ。