東京都千代田区に神田明神がある。祭神は、だいこく様、えびす様、平将門命(たいらのまさかどのみこと)。神田明神は、関が原の戦いに臨む徳川家康が戦勝を祈願した場所だ。江戸幕府を開いたのち、江戸城の表鬼門にあたる現在の場所に遷された。江戸総鎮守として、武家から庶民に至るまで幅広く信仰された。また、二年に一度執り行われる「神田祭」は、徳川将軍も上覧し、江戸三代祭の一つに数えられている。かつて「神田祭」は太陰暦(旧暦)の9月15日に行われていたが、明治5年の太陽暦(新暦)への切り替え後も、新暦の「9月15日」に執り行われた。そのため、明治17年の大祭は台風の時期にあたり、暴風雨に見舞われたとか。現在の「神田祭」は5月。
神田明神の氏子区域は、大学や学校が集まる神田、大手町のオフィス街、日本橋・秋葉原の商業地などの地域にまたがる。だいこく様は縁結びの神様でもあり、神田明神で結婚式を挙げるカップルも多い。ピンクの布地に桜の刺しゅうがほどこされた「夢むすび」のお守り、だいこく様が左肩に大きな袋を担ぎ打出の小槌の代わりに動物を抱く「ペット御守」、身につけると幸福を招くという「勾玉(まがたま)守」も授与している。また、新社会人や新入生にお勧めは「IT情報安全守護」のお守り。これは2005年から授与が始まり、名刺の大きさのお守りは定期入れやカードケースにしまい、シールになっている2つのお守りは好きな場所にはるとよいという。新しい机やパソコンにはりつけ、IT安全を祈願したい。
神田明神へ参詣した時、立ち寄りたいのは、鳥居の脇にある「天野屋」。地元の人たちが「熱いの、一つください」と甘酒を頼み、店先で飲んでいく姿をよく見かける。天野屋の地下6メートルにある「糀室(こうじむろ)」は、明治37年(1904)年に造られた地下室。現在も糀の製造に使われている。レンガでアーチ型の天井を築き、かつては地下室が放射状に伸びていた。天野屋では、甘酒や糀のほか、納豆も売っている。「菌は何百年も生きる」という女将は、「糀の菌と納豆菌は仲が悪いので、別々の室を使っている」と話す。
また、大手町のオフィス街には、神田明神に合祀され怨霊が鎮められた平将門の首塚がある。関東で独立国家樹立を宣言した将門だが、藤原秀郷(ひでさと)の軍に敗れ、京都七条河原に首がさらされた。しかし、首は夜ごとに雄叫びをあげ、ついには、切り離された胴体を求めて神田の地まで飛んできた。怒らせると祟りがあると恐れられる将門だが、関東や東国を中心に英雄視された伝統もある。神田明神は、かつては、将門の首塚がある辺りにあったという。(竹内みちまろ)