ベスト8が出揃ったころ、そのバケツは新品と交換される。そう、カチンと来た監督がバケツを蹴飛ばすのだ。試合を重ねるにつれ、バケツの蹴飛ばされる回数も増え、新品と取り替えざるを得なくなるのだ。
「新しいバケツを見て、何とか勝ち進むことができたなと実感するときもあります(笑)」(関西圏の監督)
高校野球の監督は、愛煙家と嫌煙家の両極端に別れる。意外ではあるが、前者の数はかなり多い。
「これしか、逃げ道がないんだよ…」
“自己弁護”にすぎないが、その気持ちは分かる。このご時世である。ちょっとでも、手を挙げれば大問題に発展してしまう。自分の子供の進学により、『親子野球』を経験した某監督がこうこぼす。
「マジメに練習しないグループがいて、全体に士気にも影響を及ぼしていた。いくら口で注意しても改まらないので、手を挙げてしまった」
ビンタを貰ったのは、我が子。翌日以降、練習に緊張感が戻ってきたが、その息子はこの不良グループとは全くの無関係だった。正当な理由があっても『体罰』は許されない。やむを得ず、我が子をビンタしたのだが、「息子さんがかわいそう」なる苦情が寄せられたという。
「他人サマの子供を殴ると問題になる。だから、我が子を殴ったんだ。自分の子供を殴ってお叱りを受けるとは…」
同監督は苦笑いしていたが、それ以来、怒りたいときはいったんグラウンドを出て、タバコを吸うことにした。冷静さを取り戻し、説教の言葉を整理する。タバコの本数が増えたことは言うまでもない。
北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ有(23)も、入団1年目の喫煙を告発された。その後の改心が今日の活躍を繋がったわけだが、タバコに手を出した理由は「好奇心」と語っていた。タバコの害を知らないはずはないが、その言葉は「田舎のヤンキー」といっしょだ。周囲に、タバコに逃げる大人がいたことを示唆している。
近年、甲子園出場校にも30、40代の若い監督が増えてきた。前時代の名将たちが熱血漢と評されるのに対し、彼らは球児たちの兄貴といった雰囲気である。球児たちに混じり、一緒に弁当を食べ、練習メニューを変更するときなどは同じ目線に立って話し合う。
「球児を大人扱いしすぎるのも良くない」
年長の先輩監督たちは若い指導者たちをそう諫めるが、彼らも叱ることで統率していたこれまでのやり方に限界を感じている。
「授業も担当する教員監督はまだマシ。野球指導だけで雇用された『職業監督』は結果を出さなければ…」(前出・同)
桑田、清原の時代の球児はミスを叱られると、「チキショー、この次は」と捉えたが、平成の球児たちはシュンとなって落ち込むか、フテ腐れるかのいずれか。変わらないのは、学校、父兄、地元住民の『勝利への期待』だけだ。タバコに逃げる監督が減らないのはそのためである。(スポーツライター・飯山満)