これは1938年にアメリカで「火星人が地球を襲撃してきた!」という内容のラジオドラマを放送したところ、番組を信じてしまった聴取者が続出。火星人からの攻撃を避けるため山に逃げ込む人や、火星人の毒ガス攻撃を防ぐために防毒マスクを探し求める人が現れ、大パニックになってしまった…という事件だ。
この騒動はのちに『アメリカを震撼させた夜』というタイトルで映画化(1975年)もされ、世界的に有名な事件となったが、実はこの「火星人襲撃騒動」と似たような事件が終戦直後の日本で発生している。
1952(昭和27)年8月29日の午後0時半頃、ラジオ放送局「文化放送」から「臨時ニュース」として、次のようなニュースが放送された。
「両国国技館で開催中のサーカスでゴリラが逃げ出し、東京都内を逃走中!四谷方面に向かった模様で、見つけた人はすぐに連絡を!」
このニュースを読んだのは文化放送の本物のアナウンサー・佐藤利彦氏で、チャイムも緊急速報で文化放送がよく使う音だった。
この放送を聞いた東京都民は大パニックになり、文化放送のほかNHKなどのラジオ会社や新聞社の電話がじゃんじゃん鳴った。ゴリラを倒す方法を聞くために上野公園へ問い合わせする人も続出し、都内は一時騒然となった。
しかし、この放送はもちろんウソ。この日、文化放送が放送していたのは演芸番組であった。この日、放送されたのは落語家の鶯春亭梅橋(おうしゅんてい・ばいきょう)の『あゝ世は夢かマボロシか』という新作落語だった。文化放送はこの演目を「立体落語」(鳴り物や役者を使って表現するお芝居風の落語)として放送していた。
「ゴリラが逃げた!」というニュースを読んだ佐藤アナはこの立体落語の出演者のひとりだったが、本職のアナウンサーを起用したために信じる人が続出。シャレにならない事態となってしまった。
笑えるのは、架空の「ニュース」を流した文化放送の記者もニュースを本気で信じてしまったこと。「おい! ゴリラが逃げているらしいぞ!」と報道部へ駆け込んだというエピソードもある。
この騒動を受け、文化放送は午後4時、5時、6時の3回に分けてお詫びと訂正のスポットを流し、ようやく事態は収束したが、プロデューサーは大目玉を食らい始末書を書かされたという。
なお、実在する臨時チャイムをドラマなどで使うのは、この当時から放送コード違反だった。この事件以降、さらに強固な取り決めがなされたそうだ。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)