『オーデカ』が始まるのは1991年3月1日である。こちらも中途半端なのは、前番組の『内海ゆたおの夜はドッカーン!』が2月末で打ち切られたため。内海と親交のあった伊集院に白羽の矢が立った。
伊集院はもともと『伊集院光のオールナイトニッポン』(同、1990年終了)でも人気を博しており、そのトーク力には定評があった。そのため、『オーデカ』はすぐに人気番組となる。さらに、ラジオならではのマニアックな企画も連発し、見知らぬ女性のあとをつけて家へ帰るまでを実況する「尾行マン」なる企画もあった。ただ、たまたま付けた女性がスポンサーの令嬢であり、スタッフが更迭といったこともあった。それだけ“ガチ”であったともいえる。そのほか、通常ならば赤ちゃんの毛で筆を作る業者に、陰毛を集めて作製を依頼するなど、ありえない企画のオンパレードだった。
ニッポン放送の夜のワイド番組の名物といえば、クイズコーナーである。さまざまなスポーツが採用されているが、『オーデカ』はベタに野球だった。ヒット、二塁打、三塁打、ホームランと難易度に応じてリスナーに問題が出される。1点入るごとに5000円がもらえる企画も人気になった。
だが、人気絶頂期の1995年4月いっぱいで番組が突如する。これは、伊集院をテレビタレントとして売り出したい芸能事務所の意向もあったようだ。すでに、伊集院は4月から深夜のテレビ生放送『どんまい!!』(日本テレビ系)のレギュラーが入っており、ラストの1か月間は番組の一部を録音にすることで急場をしのだといわれる。
この時点で、伊集院はスタッフとの間に軋轢を抱えており、「本番直前までスタジオの下に隠れる」「タクシーチケットで遠くまで行って戻ってくる」といった奇行を繰り返していた。4月末に番組が終わったのは、スムーズに仕事をさせないラジオ局とスタッフによる嫌がらせであったともいわれる。そんな伊集院は約半年後の1995年10月に他局で『伊集院光深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)を始め、現在は『伊集院光とらじおと』(同)で平日朝の帯レギュラーを務めるなど、TBSラジオの顔となっている。やはり、ニッポン放送との確執の溝は埋めがたいようだ。