ただ、報道やファンの反応を見ていると、“リスペクト”がないと感じられることもしばしば。角界の第一人者が、なぜここまで「過小評価」されるのか。今回は筆者が考える3つの理由を説明しよう。
■品格
土俵上では「張り差し」、「かち上げ」、「猫だまし」、そして土俵下では「万歳三唱」、「三本締め」と、その立ち振る舞いが大きく報じられることも多い白鵬。波紋を広げるたびに、「品格がない」と批判を浴びせられている。
強さの観点でみると、豊富な実績を持つ白鵬を批判する隙はほとんどない。だからこそ、強さとは別の要素であり、個々人が好きなように解釈できる「品格」が、白鵬を正当に評価しないための“色眼鏡”として用いられているのだろう。
■ライバル不在
白鵬は同郷の先輩横綱である朝青龍を除き、これといったライバルに恵まれていない。この点を引き合いに、「低レベルな時代に当たっただけ」、「貴乃花、千代の富士の時代なら勝てない」とケチをつける人もいる。
他競技では、時代を重ねるごとに競技レベルが上がっている。一方、相撲に関しては、それとは真逆の道のりをたどっているとも考えられているようだ。ただ、仮にそうならばそれはそれで問題のような気もするが…
■人種差別
以上に述べた2つの理由の、根本にあると言ってもいいのがこの点。白鵬がモンゴル人ではなく日本人なら、ここまでケチをつけられることはなかっただろう。
世界で戦う日本人が叩かれるのは嫌うくせに、同じ立場である外国人は気兼ねなくバッシングする。相撲に限った話ではないが、何とも不思議な国民性である。
以上を理由として、今日まで過小評価され続けている白鵬。人によって考えに違いがあることは重々承知だが、せめて国籍で判断することだけは控えるべきではないだろうか。
文 / 柴田雅人