親方が亡くなった病院によると、6日夜に体調不良を訴えて入院し、ぜんそくの治療を受けていたという。部屋関係者の話では、親方は6日朝のけい古では、土俵で指導に当たっており、まさに急死といえる。
鳴戸親方は10月末から「週刊新潮」誌上で、角材で弟子を殴打したり、チェコ出身の十両・隆の山に体重を増やす目的で、インスリン注射をさせたなどと報じられた。また、殴る際には、関脇・稀勢の里に補助をさせたといった記事も見られた。親方は一連の疑惑に関し、日本相撲協会から事情聴取を受けており、一部の暴行については認めていたともいわれ、8日の臨時理事会で処分などが検討される予定となっていた。
そんな状況下での急死に角界には衝撃が走った。某親方によると、鳴戸親方は現役時代に患った糖尿病に加え、数年前から心臓の具合も悪く、最近ではぜんそくも起こしていたという。相次ぐ疑惑報道、事情聴取に、心労から体調不良に陥ったと思われる。
鳴戸親方は青森出身で、二子山部屋に入門。68年名古屋場所で初土俵を踏んだ。糖尿病に苦しみ出世は遅れたが、食事療法などで克服し、83年名古屋場所後に30歳9カ月の遅咲きで横綱に昇進。通算4度の優勝を果たした。千代の富士との対戦成績は、16勝12敗と勝ち越している。86年初場所で引退し、年寄・鳴戸を襲名。89年2月に独立した。九州場所で大関獲りが懸かる稀勢の里ら関取4人を抱えている。
慎んで、ご冥福をお祈りいたします。
(落合一郎)