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中国のタイタニック。太平輪沈没の謎(5)

 今からちょうど66年前の1949年1月27日、東シナ海に面した杭州湾を、航海灯を消した1隻の商船が航行していた。船の名は太平輪。折しも、当時の中国大陸では国民党と共産党との間で激しい内戦が繰り広げられており、上海付近にも共産党軍が迫っていた。大陸から脱出する最終便かもしれないと思われた太平輪には政財界の要人が多数乗船し、また銀行の証券から新聞社の印刷用紙に至るまで、大量の避難物資も搭載された。そして、太平輪は中国暦で大晦日となる1月27日の午後4時頃に上海を出港し、台湾の基隆を目指したのである。

 しかし、太平輪は貨物船の建元輪と衝突してしまい、両船とも沈没に至った。しかも、衝突後の太平輪は大混乱状態で、遭難者は救命胴衣だけで冬の冷たい海に投げ出された。結局、建元輪と太平輪を合わせた犠牲者は1000人以上に上り、生存者は50名に満たなかったと言われている。

 船長を始めとする幹部船員が全員死亡したため、現在に至っても太平輪遭難の原因は解明されていない。ただ、当時は上海付近の夜間航行が禁じられており、太平輪は取り締まりを回避するため航行灯を点けていなかったことが、衝突につながったとの意見があり、ネットでも広く紹介されている。しかし、その仮説には不合理な点が多く、特に「太平輪が建元輪の横腹へ衝突したことについての説明にはならないのだ。

 対して、生存者の「船員が飲酒していた」という証言は重要で、特に「幹部船員も酔っ払っていた」との証言まで存在することは、非常に重要な意味を持っている。船員の飲酒は太平輪遭難の大きな要因となった可能性は高く、恐らくは飲酒による見張り不足と回避の遅れに、過積載による運動性の低下などが複合して、衝突、沈没に至ったのであろう。さらに、飲酒による規律の乱れは衝突後の対応にも悪影響を及ぼし、避難誘導の不手際による人命の損失を招いた可能性も高い。

 では、船員の飲酒を止められなかった、あるいは「酒を飲ませた」原因とは、いかなるものがあったのだろうか?

 この点については資料も証言もなく、推測するしかない。ただ、出港が中国の暦で大晦日にあたっていたため、年越しの祝い酒であった可能性は高い。とは言え、それにしてもいささか飲み過ぎではないか?

 筆者は出港直前に積み込まれたと言われる、上海中央銀行の銀貨に注目する。本来、太平輪は昼過ぎに出港し、日没までに領海を出ている予定であったのが、銀貨の積み込みに手間取ったため出発が夕方にずれ込み、深夜の衝突に至っているのだ。

 既に満載状態だった太平輪に、出港を遅らせてまで積み込んだ銀貨とは、どれほどの価値を持っていたのだろうか?

 そもそも、積み込まれたのは本当に銀貨だったのか?

 船員が飲酒していたのは、その時に積み込まれたなにかをごまかす、あるいは注意をそらすため、あえて酒が振る舞われたのではないか?

 何時の日か、これらの謎が解き明かされる日も来るかもしれない。

(了)

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