田中哲朗さんは、1981年6月29日、勤務先の電気会社で解雇通知を受けた。78年に行われた大量解雇に抗議し、導入された朝のラジオ体操への参加を拒否、遠地への異動命令に従わなかった結果のことという。以来、会社の前で抗議の歌を歌い続け、先月29日で30年を超えた。
『田中さんはラジオ体操をしない』は、オーストラリアのマリー・デロフスキー監督による、製作年08年のドキュメンタリー作品だ。きっかけは、マリー・デロフスキー監督の夫が、田中さんがインターネット上で公開した英語のページを知ったこと。計5回来日し、田中さん宅へはほぼ毎日の80日間通った。歌い始めて25年の段階を迎える田中さんの撮影に200時間以上を費やした。同作品を配給するスリーピンの原田徹さん(40)は、同作品を、「抗議活動を行っている田中さん個人の話というより、家族や支援者など田中さんを取り巻く人たちを描いていると思います」と語る。
トークイベントは、1974年に来日した音楽にも詳しいピーター・バラカンさんの「この映画を見て、そうか、こういうことをやっている人がいるのだなと感心しました」という言葉で始まった。「はたして効果があるのかないのかはわかりませんが、自分が正しいと思ったらそれを続けるという、懲りない性格を持つことは大切だと思います」。また、「一人の個人が多くの人に自分の考えを知ってもらう方法は少ない」ことを指摘した。
田中さんは、マリー・デロフスキー監督からの映画を作りたいという連絡が入ったいきさつを語った。同様の問い合わせは多数あったため、最初は「ああそうですか、できたらいいね」程度に受けとめ、映画の実現性については「信用していなかった」ことを明かした。完成後の日本以外からの反応は? の質問には、田中さんは、オーストラリアではテレビで全国放送されたため、がんばれというメールが40通ほど来たことを語った。「日本人以上に私が訴えていることをわかってくれる」とも。
ラジオ体操については、ピーター・バラカンさんは来日後にラジオ体操をするという現象の存在を知り「いったい何のためにこのようなことをやるのかと、いつも不思議に思っていた」というが、田中さんは、ラジオ体操をすることそれ自体ではなく、「踏み絵としてのセレモニーが嫌だった」と語った。
トークイベントは、田中さんがギターで弾き語りをし、閉幕した。
イベントの田中さんは明確な主張をしていたが、映画でも同様で、スクリーンの中の田中さんは、会社から追われても私はここで生きていると会社の前の場所を指し示したり、また、なぜ続けることができるのだと言う人がいるが、空を飛ぶわけではなく、ただ会社の前に行ってギターを弾くだけで誰にでもできる、などとも。しかし、「私は、日本と田中さんの人生においてはアウトサイダー」と語るマリー・デロフスキー監督の作品は、主張はせずに、記録に徹している。田中さんと監督との間には編集方針をめぐって議論もあったというが、『田中さんはラジオ体操をしない』は、具体例を提示することを手段として疑問を投げかけるというドキュメンタリーの一つの役割を、見る者に再認識させる作品としても見応えがある。
同作品は、現在、9月の大阪、京都に加え、名古屋、札幌、広島、那覇での上映が決定している。ほか各地での上映も調整中という。(竹内みちまろ)