そもそもSMAPは、アイドル氷河期の1991年に歌手デビュー。ジャニーズJr.のスケートボーイズから抜てきされた6人(当時)でスタートした。ところがその後、歌番組が相次いで終了。SMAPが堅守したのは、冠のレギュラー番組『愛ラブSMAP!』(テレビ東京系)だった。
同番組は、ジャニー喜多川社長がSMAPの新曲発表の場として提供したバラエティ。91年からSMAPは、およそ3か月に1度のハイペースで新曲をリリースしていたが、オリコンヒットチャートランキングで1位を獲れるほどの実力はなかった。それならばとジャニーさんが、“歌を聴けるバラエティ”を起動させたのだ。
当時の新曲リリースは、ジャニーズタレントで類を見ないほどすさまじいペースだった。デビュー曲の『Can’t Stop!!−LOVING−』は、91年9月の発売。以降、2ndの『正義の味方はあてにならない』は12月、3rdの『心の鏡』は92年3月、4thの『負けるなBaby!〜Never give up』は7月、音松くん名義の『スマイル戦士 音レンジャー』は10月、5thの『笑顔のゲンキ』は11月、6thの『雪が降ってきた』は12月。96年までは、年4〜5曲のシングルを発表している。
当時は、番組制作にジャニーさんみずからが口を挟んだ。安い制作費でSMAPの魅力を最大限に出そうと、タレントも事務所も局側も必死だったのだ。その甲斐あって、6人(当時)のカラーははっきりしてきた。モデルさながらの森且行(現オートレーサー)、リーダーの中居、美男子の木村、弟キャラの香取、女性のような稲垣。唯一、個性があいまいだったのが草なぎだ。そこでトライさせられたのが、元大洋ホエールズの加藤博一さん(故人)の“1,000本ノック”だ。
何時間もかけて、ガチで1,000本を受けきった草なぎ。疲労困憊で終えたとき、ポツリとつぶやいたのが、「SMAPをやめたい…」。10代のアイドルには、過酷すぎた試練。思わず本音がこぼれたようだ。
SMAPといえば、『夢がMORIMORI』や『SMAP×SMAP』といったフジテレビ系バラエティでそのスキルが磨かれたと思われがちだが、ホントの原点はテレ東。アイデアと気力と忍耐でのし上がってきた彼ららしい歴史が、そこにあるのだ。