しかし、ジャニーズアイドルのなかで、彼らほどの苦労人はいない。そこで、今週から3回にわたって、その苦境をあげていこう。
そもそも関ジャニは、その成り立ちたちからして異質だ。2004年、結成からおよそ2年後にCDデビューをはたすも、発売地域はメンバーの出身地である関西限定。デビュー記者会見は、レコード会社の屋上という質素なものだった。
渋谷すばる、丸山隆平、村上信五、横山裕と同期にあたる相葉雅紀、二宮和也、松本潤は、すでに嵐に抜てきされており、99年にデビュー。会見はハワイで開かれ、関ジャニとの格差を見せつけた。その格差は不人気からくるものだと、本人たちは自覚していた。
同じく同期の山下智久は、関ジャニのデビュー前年(03年)、NEWSでデビュー。堂本光一(KinKi Kids)、滝沢秀明(タッキー&翼)を彷彿させる“キラキラ王子様”として、ジャニーズJr.時代から群を抜いた人気を誇っていた山下。V6、嵐に続き、フジテレビ系列のバレーボールワールドカップのイメージキャラクターに任命されるのも、当然の流れだった。
いっぽう、後輩で結成されたKAT-TUNは、関ジャニの2年後(06年)にデビュー。デビュー前に東京ドーム公演を行う、芸能人史上初の快挙を達成した。
文字通りの“ごぼう抜き”。ジョイントライブでは、嵐、NEWS、KAT-TUNと如実な声援の差を体感した関ジャニ。そのとき、少ない声援を覆い隠す秘策を編みだした。それが−−。(続く)