最近、テレビ番組などで「弟の猛さんは陸上競技に関係しているものの、兄の茂さんは“気功”に関係している仕事をしているのでびっくりしました」などと報告されていた。
あの双子のランナー宗茂氏と猛氏が現役でバリバリ活躍していた時代は、日本男子マラソンの全盛期。瀬古利彦氏、中山竹通氏、児玉泰介氏、伊藤国光氏ら、そうそうたるメンバーが競い合っていた。
「苦しげに走る宗兄弟の姿にはファンも多かった。そして旭化成というチーム名を全国的に有名にした。日本の長距離界をリードしていったのです」(陸上競技関係者)
88年、茂氏は「これ以上、周りの期待に応えられない」と選手を引退。その後は旭化成で陸上部監督を務めた後、九州保健福祉大の客員教授と同大の陸上部監督を務めている。それと並行して、何と昨年の6月から宮崎県延岡市内で健康気功塾を開いていたのである。
茂氏と猛氏が揃って出走したフルマラソンは全部で32回あるが、そのうち兄弟での先着した回数は兄・茂氏が12回で、猛氏が10回。初マラソンや85年の北京国際マラソンのように、兄弟でワンツーフィニッシュ(1位と2位)となったレースは4回。そのうちの2回はいずれも別府大分毎日マラソンで、すべて兄・茂氏が勝利を収めている。
茂氏は「マラソンは練習よりも調整」と常々言っており、そのことが気功塾の開設となった。弟と違って「何をするにも大雑把」(本人)な性格と「練習より調整」という考えが、陸上に絡めた気功へ繋がっているのかもしれない。
なお、明日は弟・宗猛氏の登場です。
◎85年北京国際マラソンは双子で優勝
宗茂氏といえば、85年10月の北京国際マラソンで弟・猛氏と兄弟同タイムで優勝(同タイムだったが兄・茂氏の優勝)。国際マラソンでの兄弟1位、2位独占はいうまでもなく、世界初の快挙だった。その後、“マラソンといえば宗兄弟”といわれるまでになった。とくに兄・茂氏のマラソン人生は華々しかった。
78年2月の別大マラソンで、茂氏はスタートから果敢に先頭に立ち、当時としては驚異的な5キロを14分台で走り、そのペースを刻みながら、40キロまでは当時世界記録保持者のデレク・クレイトン氏の2時間8分34秒のペースを上回っていた。
だが、ラスト2キロあたりから、あの別府湾特有の強風に襲われ、世界新記録の偉業は達成できなかった。それでも世界歴代2位の2時間9分5秒6で、日本人では初のサブテン(2時間10分以内)で優勝した。
また、茂氏は3大会(モントリオール、モスクワ、ロサンゼルス)連続の五輪代表に選ばれた。しかし、弟・猛氏とともに代表となったロサンゼルス大会では、4位に入った猛氏から大きく遅れての17位だった。