そんなお伽話に出てくる人魚の実物が、すでにミイラではあるが見ることができる! というニュースが19世紀のアメリカを騒がせた。
南国フィジーから来たという触れ込みの『人魚のミイラ』がフィニアス・テイラー・バーナム(Phineas Taylor Barnum)氏の手によって彼の博物館の陳列物として扱われたのだ。もっとも、この博物館は今でいうアカデミックなものではなく、各地を移動してまわる見世物小屋的な要素が強かった。管理もさほど良いと言えなかったようで、残念ながらこの人魚は1860年代に博物館を襲った火事で焼失してしまったとい う。なお、彼は後に人魚についてこう語っている。
「人魚? あれは猿の頭に魚を縫い合わせた作り物さ!」
この度山口敏太郎事務所に加入した人魚のミイラは、このアメリカ版『フィジーの人魚』を現代の作家が当時の資料を元に再現したものとなっている。
またアメリカで人気になった『フィジーの人魚』は実は日本製だったのではないかとする説もある。江戸時代、日本は鎖国中ではあったがオランダとの貿易で欧州の文化を取り入れ、時には日本から芸術品として輸出もされていたのが人魚をはじめとする見世物用の妖怪ミイラだったという。事実、現存する人魚のミイラの中には欧米と日本で非常に似通ったデザインのものが存在している。これは同一の職人による『作品』であった事を証明しているとも言える。
日本でも江戸から昭和に年月が過ぎれば、人魚のミイラは次第に珍重されるようになっていった。珍しい人魚のミイラを記念の絵葉書とした物も現存しており、その説明書きには『人魚保存研究会』の文字が見て取れる。さすがにこの研究会は時とともに消滅してしまったようだが、現代まで残っていたとしたらどのような研究結果を導き出してくれたのか、興味は尽きないところである。
※写真はお台場「山口敏太郎の妖怪博物館」に展示してある人魚のミイラ写真
(山口敏太郎事務所)
11月20日 お台場に『山口敏太郎の妖怪博物館』オープン
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/e/69153e968e5d84c018ccdb00b969d463