(ようやく、自分の子供の頃からの夢がかなう)
S子は入社してから、いきいきと働いた。1ケ月後、新入社員研修を終えたS子は、工場に配属された。彼女は菓子パンを製造するセクションであった。
白い作業着に着替え、帽子を被り、マスクをする。
さらに、手を消毒すると、S子は工場に入り、ラインの仲間にあいさつ回りをした。
「これから、仕事に配属されるS子です。お仕事いろいろご指導願います」
「ああっ…頑張んなさいよ」
「新人さん、頑張って」
「あんた、私たちみたいに早く一人前になるのよ」
ぺこりと頭を下げる新人のS子に、先輩たちは、マスクと帽子の間から優しい目をのぞかせ、答えてくれた。
(みんな、いい人ばかりで安心した。この会社に入ってよかったわ。よし!食べる人を感動させるパンを作るぞ)
彼女は気持ちも新たに、工場での仕事に取りかかった。
だが、そんなS子に対して、一部の先輩の反応は冷ややかだった。
「なにさ、自分だけ良い子ぶっちゃって…」
「本当!なんか鼻につくんだよね」
「わざとらしいって感じ」
張り切るS子の態度が上司への点数稼ぎに映ったのだ。
特にAさんという先輩は、S子を目の敵にした。
「私、ああいうタイプの子って嫌いなの、パン作りより、まず心構えだよ。私が徹底的にしごいてやるよ」
初々しい気持ちで仕事に取り組むS子が、Aさんにとってはまぶしかったのかもしれない。
初日から、Aさんの攻撃が始まった。S子のこねたパンの形が悪いとか、動きが悪いとか、内容はどうでもよいもので、何かにつけS子をいたぶるのだ。
(あんたの目玉はどこについている)
これが、AさんがS子を指導するときの口癖だった。
しかし、これをいじめと言わずして、なんと言おうか。同期の仲間たちは、上司に相談するようS子に言った。
「S子、絶対あれはいじめだよ。お局さんの新人いじめってやつよ。人事課長に言いつけてやろうよ」
しかし、S子はこれを拒否した。
「これも勉強だから、いいの」
こうして、AさんのS子へのいじめに近い指導は2年近く続いた。
そして、3年目のある夜。何人かが臨時の夜勤業務に入っていた。リーダーはAさんだった。
「いいわね、手を抜いたら私が許さないわよ。目玉ひんぬいて真剣にやりなさいよ」
Aさんがゲキを飛ばしながら、作業は順調に続いた。S子も夜勤メンバーの1人であり、人一倍働いていた。すると、突如、悲鳴が上がった。
「だれか来て!Aさんが!!」
S子が悲鳴の方を見ると、Aさんが頭を押さえて倒れている。
「先輩、大丈夫ですか?」
S子が駆け寄ると、Aさんは頭を押さえながら力のない声でこう言った。
「私はもうだめかもしれない…。あとはS子さん、頼んだわよ」
そう言うと意識を失い、病院に運ばれていった。結局、頭に持病を抱えていたAさんは2日後、意識が戻らないまま亡くなってしまった。享年32であったという。
職場の仲間たちは、Aさんの葬儀に出席した。当然S子も一緒である。
一緒に働いていた仲間が死ぬなんて、信じられない。一同は一様に暗く、打ちひしがれていた。しかし、食品メーカーに休みはない。その夜もS子は夜勤を命じられていた。
(A先輩の分も頑張らないと)
S子は悲しみを胸にしまうと、職場に向かった。そして、いつもように白い作業着に着替え、帽子を被り、マスクをし、工場のラインに入って作業を開始した。
仕事をしてから数分後、S子は異変に気が付いた。
(おかしい。1人、人数が多い)
確か6人で入ったはずである。でも今作業中の白い作業着の人間は7人いるのだ。
(おかしい、私の勘違い?それとも)
ふと前を見ると、前に立っている人の目が、帽子とマスクの間で笑っていた。
(あっ、A先輩)
S子が思わず声をかけようとすると、Aさんの姿は消えてしまった。
そして、それと同時にS子にはAさんのこんなメッセージが伝わった。
(もうあなたは大丈夫。あとはおいしいパンを作ってね)
それ以来、その工場において、新人や若い社員が仕事を怠けたりすると、白い作業着姿の幽霊が出るようになった。亡くなったAさんが作業着姿で枕元に立ち、帽子とマスクの間から鋭い視線をちらつかせて、こう警告するのだという。
「目玉はどこについている」
(山口敏太郎事務所)