1994年の米国W杯を目指す日本代表は93年10月28日、カタールのドーハで行われたアジア地区最終予選の最終戦となるイラク戦で、後半ロスタイムに同点弾を決められてW杯初出場を逃している。深夜帯にもかかわらず、テレビ東京での地上波中継は関東地区で48.1%の視聴率を記録。悲劇の瞬間には日本中が深いため息に包まれた。
わずか13分間で2失点を喫しての逆転負け。14年前と同じドーハの地で、再びロスタイムに悲劇は繰り返された。
北京五輪出場を目指すU-22日本代表・反町ジャパンは、これまで2勝1引き分けの勝ち点7でグループCの首位。勝ち点4で2位のカタールと首位攻防戦に挑んだ。
前半から積極的に攻める日本は再三カタールのゴールに迫り、前半43分には水野の左コーナーキックを本田圭が競り合い、こぼれ玉を青山直が蹴り込んで先制した。
しかし、後半に入るとカタールの猛攻にさらされた。日本も後半開始時に水野と交代して入った家長のドリブル突破などでゴールに迫ったが追加点は奪えず。逆に後半32分に右コーナーキックから、ゴール前の混戦で後半途中出場した16歳のハッサンにヒールキックでゴールを割られて同点に追いつかれた。
引き分けでもグループ首位をキープできる日本だったが、待っていたのはまさかの逆転負け。後半ロスタイム、伊野波がペナルティーエリア内でハンドを取られPKを献上し、マジディの蹴ったボールはGK山本の指先をかすめて逆転のゴールイン。反町ジャパンは手痛い一敗を喫した。
各グループ1位のみに五輪出場権が与えられる中で、反町ジャパンは勝ち点(7)、得失点差(+1)で並んでいるものの、総得点4のカタールに1点及ばずグループ首位を明け渡して2位に転落。反町監督は「あと2試合で勝ち点6を目指す。いい教訓になった。自分たちでまいた種は自分たちで刈り取る」としたが、U-22日本代表は苦しい立場に立たされた。
この日、日本人サポーターは「砂漠の彼方に北京が見える」と横断幕を掲げたが、勝てば五輪出場にリーチがかかった大一番に敗れ、北京は蜃気楼のように消えた。11月17日にアウエーでのベトナム戦、21日に国立競技場でのサウジアラビア戦と残り2試合は負けられない戦い。反町ジャパンは崖っぷちから這い上がれるか。