田中はボディコンを身に纏って登場すると恥ずかしそうな表情を見せたが、「デビュー当時はいつもミニスカート。常にこんな感じでした。まゆげもいじりませんでした」とにっこり。「最初にこの話しをもらった時は無理だから昔の映像使ってくださいって」と一度は断ったというが、勇気を出して挑戦したところ娘に大好評だったといい、「ママ可愛いよって。ママみたいに髪のばすねって。わたしの唯一のファンなんです」と嬉しそうな表情。哀川もそんな田中に「30年前と比べても違和感ないCMだったよ。当時よりしまったんじゃない。似合っているね」とエールを送った。
哀川の方は赤い靴下に長ラン姿。「改めて着てみてびっくりした。意外と似合うね」とご機嫌。「36、7年ぶりに着るかな。当時は着るもの全部こんな感じだった。これか短ランか。両方持っていたし、修学旅行も両方持っていった。流行が長ランか短ランかパンチだった。俺も高校3年間パンチだったし、そういうのの全盛期だった。9割のやつがパンチ。全国的にそうだった。男はみんな坊主かパンチ。いい時代だった」とニヤニヤ。
また、「80年代はエネルギーがすごかった」とも振り返り、「自分もずっとストリートパフォーマンスをやっていまして、そういう若者のエネルギーが溢れていたのが80年代。日本中盛り上がっていましたよ。いろんなことにチャレンジした年代だったと思います。なんでもやれというオープンな時代だった」としみじみ。
田中も「あの時代のパワーは本当にすごかった。またあの時代が来ないかなって」と懐かしそう。「デビュー前はよくディスコに行ってお立ち台に上がって踊っていました。その頃はキャンペンガール」と80年代を振り返り、89年に自分の瞳に一億円の保険をかけてデビューしたことを述懐。「そういう時代でした。その後胸にかけたり脚にかけたりという人も現れました」と話すと、現在の生活とのギャップもにこやかに明かし、「ここ2年間は何時に仕事で帰って来ようが5時に起きて子供たちの見送りをしています」とプライベートのママっぷりもアピールしていた。
(取材・文:名鹿祥史)