この惨劇のさなか、バスに突入して犯人の刃物を取り上げた勇敢な老人がいた。その老人は北相タクシーの運転手で元プロボクサーの松本岩夫さん(67)。
松本さんは駅前付近で客待ちをしていたところ、悲鳴を聞いてバスに飛び乗った。すでに容疑者は20代の男性2人に取り押さえられていたが、床に落とした長さ25cmの刃物を奪い取って、背広の内ポケットに収めるお手柄を挙げた。
松本さんは昭和30年代に活躍した元プロボクサー。名門の金平ジム(現協栄ジム)に所属し、フェザー級で11戦をこなした。昭和39年(64年)には防衛戦のために来日したWBA、WBC世界フェザー級王者のシュガー・ラモス(キューバ)のスパーリングパートナーに抜てきされた経験もある。
「オレはこんなジジイだし。どうなってもいいから未来のある高校生を助けなきゃ。本当にそんな思いだった」と語った松本さん。
昨今、不祥事を起こす格闘家やプロレスラーが多い。素人に手を出すバカ者もいる。惨劇の現場に突入することがいいことかどうかは、一概にはいえない。しかし、松本さんの勇敢な行為は何かを教示してくれた。本当に強い男とは、“心”が強くなくてはならない。現役を退いて40年以上経っても、松本さんの“心”は今もプロボクサーのままである。
(ジャーナリスト/落合一郎)