平成を代表する選手3人を紹介する。
1、清原和博
1985年にドラフト1位で西武ライオンズに入団。1年目から31本塁打を放ち、黄金期の4番打者としてチームを支える。
平成に入ると、秋山幸二、オレステス・デストラーデとともに強力クリーンナップを形成し、1990年から94年までのパシフィック・リーグ5連覇に貢献。偉業を達成した大きな要因は、若き主砲・清原が4番にどっしりと座っていたことだと言われている。
1996年オフに巨人へFA移籍し、バッシングなどもあり成績が下降した清原。彼の全盛期は、やはり西武ライオンズ時代との声が多い。そしてライオンズにとっても、清原が4番を打っていた頃が、最盛期だったといえる。
2、アレックス・カブレラ
2001年に西武ライオンズに入団すると、豪快なフルスイングを武器に暴れ回り、49本塁打を記録。そのすさまじい飛距離と打球の速さは、多くの投手を震え上がらせた。
そして2002年は初年度を上回るペースで本塁打を量産し、当時絶対的な記録とされていた王貞治のシーズン55本塁打に並ぶ。その後記録更新をさせまいと、相手投手が露骨に勝負を避けるようになり、その姿勢が議論を呼んだこともあった。
2007年まで在籍し、2004年の日本一にも貢献したカブレラ。平成中期を代表するスラッガーで、人気の高い選手だった。
3、松井稼頭央
1996年にレギュラーに定着。俊足強肩のスイッチヒッターとして活躍、1997年には盗塁王を獲得している。
当初は本塁打を打つタイプではなかったが、1999年頃から長打力も兼ね備えるように。2002年には36本塁打を放ち、3割・30本・30盗塁のトリプルスリーを達成。走攻守全てにおいて優れた遊撃手に成長した。
西武在籍時代は7年連続3割に加え、ベストナインも7年続けて獲得。その全てに優れた能力から「プロ野球史上最強のショートストップ」と呼ぶ人もいるほどだ。
その後FA宣言でMLBに移籍し、楽天でプレーした後、2018年西武に復帰し引退した松井。現在は西武の二軍監督を務め、後進の育成に精を出している。
西武はFA移籍やトレード放出選手が多く、「一筋」で現役生活を終えた有力選手が少ないのが特徴。今後は「西武一筋」で終わる選手を増やすよう努めてもらいたいものである。
文・櫻井哲夫