兵庫県出身の堂本光一と、奈良県出身の堂本剛は、ジャニーズ事務所で初めて、関西出身で関西弁を矯正させられないままデビューできたアイドルデュオだ。彼らが成功を収めなければおそらく、関西ジャニーズJr.も、関ジャニ∞も誕生しなかっただろう。
光一にはテレビタレントとは違う、もうひとつの顔がある。座長だ。世界で通用するエンターテイナーをめざして、2000年から座長となって出演しつづけているミュージカル『Endless SHOCK』。今年は、通常の東京公演に福岡公演も追加されて、初の4か月ロングランを完走した。通算公演数は938回。観客動員数は171万人。いずれも、ジャニーズタレントのソロとしては最高記録だ。
前身は、少年隊の主演ミュージカル『PLAYZONE』(91年〜)。光一が弱冠21歳のとき、そのバトンを受け取った。当時、雲の上の存在だった座長の東山紀之と今年、ようやく同じ年齢になった。
05年からは、脚本、セット、音楽、衣装のすべてに意見を反映させて、製作者としても名を連ねている。華麗なフライングは、手の力だけで全身を支えている。10kgの衣装を身にまとった殺陣では、10分以上も闘いつづける。舞台のクライマックスは、22段の階段落ち。みずからスタントなしを志願しているが、靭帯を2回も断裂したほど、過酷を極めている。
KinKiとしては、97年のデビュー曲「硝子の少年」が、初登場1位になると同時に、いきなりのミリオン達成。以降、15年にわたって発表したシングルは32作。ギネス公認記録の「デビューからのシングル連続首位記録」を、みずからが今なお更新中だ。
人生の半分以上、スポットライトを浴びているせいか、プライベートは超暗い。人と接触しない。夜遊びもしない。先輩からの誘いも断るほどだ。一日中、部屋にこもって、大好きなテレビゲームに没頭することが、至福のときだ。
表と裏。その激しすぎる落差が、光一を光一たらんとしているのかもしれない。