また、処分と平行して爆発原因の究明も行われたが、船体などが引き揚げられ、爆発によるの損傷が明らかになるにつれ、大きな疑惑も浮上してきた。まず、船体の損傷状況などから爆発は艦の外部で発生したことが確実となり、艦内で発生した事故や破壊工作の可能性は消滅した。つまり、軍港内に戦艦を沈めるような爆発物が放置されていたか、あるいは外部からの攻撃を受けたわけで、いずれにせよ極めて衝撃的な事実であった。
外部からの攻撃として、まず航空機による爆撃や雷撃については、レーダーの記録や関係者の証言などから爆発時間の前後に上空を飛行した航空機はないことが判明し、即座に否定された。また、潜水艦の雷撃については、港内の水深が浅いため水中での魚雷発射が不可能で、不審な船舶も目撃されていないことから、浮上して魚雷を発射した可能性も否定された。無論セヴァストポリ軍港には潜水艦の進入を阻止する防御設備があり、各種探知装置にも不審な情報は記録されていなかった。
当時、ソ連は独裁者スターリンの死後、後継者のマレンコフが融和路線を取ったこともあり、西方との外交的な緊張状況は存在していなかった。ただ、ソ連内部ではフルシチョフがマレンコフから権力を奪い取りつつあり、政治的には極めて微妙な状況だったが、西側がそれにつけこんで戦争の危機を煽るとも思えなかった。そのため、調査が進むと外国勢力による攻撃の可能性は排除され、港内になんらかの爆発物が存在していた可能性が高まっていった。
軍港内の爆発物について、ソ連海軍当局には懸念していた危険があった。第2次世界大戦中、セヴァストポリ軍港にはドイツ軍が大量の機雷を敷設しており、戦後10年を経てもなお、全てを除去していたとは言いがたかったのである。