ところが、現在の地位に上りつめるまでは、苦労とトラブルが絶えなかった。20代のころは、多重債務者だったからだ。
借金地獄の入口に立ったのは、25歳ごろ。すでに芸人をやっていたが仕事はなく、浪費癖による借金が480万円に膨れあがっていた。しかし、母親がおよそ100万円を返済してくれた。そうすると、金融会社は「返済能力がある人」と判断して、増額キャンペーンを勧めてきた。ハマった。再び坂道を転げ落ちた。全13社から総額500万円を借り入れするまでに、時間はかからなかった。
兄・姉からの進言によって、債務整理をすることになった。弁護士を雇わず、自分で簡易裁判所に赴いて、「特定調停申し立て」を利用する選択をした。借金の返済額や返済方法を、裁判官との話し合いで決めていく法の手法だ。
面接では、朝から晩までの労働を提案された。「芸人だからムリですよ」と断り続けると、その場で芸人らしい芸をやるよう、命じられた。目の前にいる老人2人に向かってやったのは、「ペロンチョ」。2人は、「バカヤロー!ふざけてんじゃないよ!」と裁判所中に響き渡るような大声で、怒鳴り散らした。
そこから、「法定利息」のことを学び、利用して、債務整理をしていった。
コンビ芸人として食えるようになったのは、31歳のとき。月収10万円を初めて超えたときは、元相方の中島忠幸(故人)さんと握手をして喜んだという。
そして、この長く辛い借金生活が、売れっ子タレントになる大きな足掛かりになった。
かつて50万円を借り、元金だけを返済した消費者金融会社のアコムから、テレビCMのオファーが舞い込んだのだ。何かの手違いかと思い確認すると、「メインキャラクターではなく、シチュエーションの役者として使うだけなので問題ないです」という返答。そして、サラリーマンが駅に到着したら雨が降ってきて、ニコッとほほえんだ妻が傘をそっと差し出してくれたというシチュエーションの15秒CMに出た。
ギャラは、借り入れた金額のン倍に相当。さらに、この演技力を観た映像関係者が“役者・竹山”にオファー。ドラマに映画と、仕事の幅が広がるきっかけとなった。
地獄を好転させ、引く手あまたの人気タレントとなった竹山。今でも、アコムには足を向けて寝られないという。
(伊藤雅奈子)