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中山秀征が遂に封印していた過去を解いた…「私は、幻の〇〇ファミリーだった」

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関根勤

7月5日に更新されたYouTube「関根勤チャンネル」で、ゲストのタレント・中山秀征が今だから言える驚愕エピソードを披露した。

お笑いコンビ・ABブラザーズで芸能界デビューを果たしてから来年で40周年を迎えるという中山。

「デビューした17歳の頃から、関根さんにはお世話になっている」と口火を切った中山は、「これ、あんまり知られている話じゃないんですけど…」と前置きすると、「僕はもしかしたら『幻の欽ちゃんファミリー』なんですよ」と驚愕の事実を打ち明けた。

渡辺プロに入る前の16歳当時は、劇団に所属していたという中山。

当時大人気だったTBS系バラエティー番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」(1982年〜1985年)のレギュラー出演者で、アイドル的な人気を博していた風見しんごの番組卒業に伴い『風見しんご枠』を懸けたオーディションの話が中山に舞い込み、群馬から出てきたばかりだったという当時高校2年生だった中山はそのオーディションに挑戦、何と最後の1人まで残ったのだそうだ。

ここまでのエピソードに関根は「えっ!じゃあ決まりじゃん!決まったんじゃん!」と驚嘆する中、

「決まったんです。萩本さんに(オーディションで)色んなことをやらされたんです。『そっちから歩いて来て!』とか『バケツにお湯が入ってるから手を入れて通り過ぎてみて!』とか」と、

関根曰く萩本の「その人の素のリアクションを見たい」という理由から来る要求にもコント未経験で戸惑いながらも、「当時、群馬から出て来て何も無かった」という中山は、必死に練習し挑戦したという。

そのような中、「『来週のゲストが松田聖子さんだから《赤いスイートピー》を吹く。君の楽器はトランペットだ!』」「『赤いスイートピー』が吹けるまで終わらないから」という無茶振りにも、中山は今まで楽器を吹いたことも触ったことも無かったにも関わらず「メンバーに選ばれたい!」「スターになるチャンス」という強い思いと持ち前のハングリー精神で必死に食らいつき、最終的に何とその日の夜中に吹けるようになったのだそうだ。

そして、「お!いいねー」と褒められその日は無事解散となり、当時住んでいた川崎の下宿で疲れ切りながら「あぁ……萩本さんに選ばれた……」と、その日欽ちゃんファミリー全員から貰ったサインをしみじみと眺めていたという中山。すると「″?″なのか、″て″なのかいまだにわからないけど、『欽ちゃんバンドにて』なのか『欽ちゃんバンド?』って書かれていて」と、謎を残したサインのメッセージが、思わぬ結果を予想していたのかのように…

「『ごめんなさい。実は風見さんがお辞めにならない。最後まで残ったのに大変申し訳ない』て…」と何と翌日、プロデューサーから断りの電話が入ったという。「ただトランペットだけ吹けるようになった」と、中山が打ち明けた予想外のオチに膝を叩いて大爆笑しながらも「そんな事情があったの!?」と驚きの声を上げた関根に、

「で、『ガクーン…』って」と、うなだれた様子を再現した中山に関根は「そりゃそうだよね」と同情を寄せた。

そして「ドッと疲れが出るってこういうことなんですね。天と地というか、翌週テレビを見たら風見しんごさんが楽しそうに歌って踊ってたんですよ」と、残酷な状況を吐露した中山に返す言葉が無い様子の関根。しかし中山は「のちに僕は渡辺プロに入るんですけど、その時風見さんのやってるステージがやっぱり面白かったんです」

「エンターテインメントショーで、踊りがあってトークがあって歌があってというのは『逆に勉強しなさい』ということで、風見さんのコンサートをそれから渋谷公会堂とか見に行くんです」と、

風見に対する悔しさをバネにポジティブに見事変換したかと思いきや「で、それを見るたび『本当は俺がこのステージにいたかも知れない…』」と、悔しさを滲ませた中山は、関根と一緒に手を叩いて爆笑した。

最後、「て、思いながらも『すごいな先輩は…』って」「憧れの欽ちゃんファミリーを受けたという自分はいたんだけど、自分はなれなかったという」と、現在の自身を作った貴重な1ページというように中山が締めくくると「はー!…」と、そのなかなか壮大でドラマティックな中山のヒストリーに改めて感嘆の声を発した関根だった。

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