その一方で、死んだ後も、墓の中で出産し、幽霊となってまでも赤児を育てていた母親もいる。この話は、「子育て幽霊」、「飴買い幽霊」と呼ばれ、青森県から沖縄県まで、各地に伝説や昔話として伝わっている。その理由として、この時代、出産の時に命を落とす妊婦が多かったからである。また、幽霊に育てられた赤児は後に高僧になる設定が多く、各地の寺院の秘話として残されていた。墓場から子供が誕生するシーンは、水木しげる氏の漫画「ゲゲゲの鬼太郎」で鬼太郎誕生のモチーフとなっている。
江戸時代、愛知川宿(滋賀県愛知郡愛荘町)は、中仙道6 5番目の宿場町で、近江商人の町として賑わっていた。この愛知川宿にも「飴買い幽霊」の話が伝わっている。
ある激しく雨が降る夜のこと、臨月の腹を抱えた女が、愛知川宿にある旅籠の戸を叩いた。女は大変美しく、高価な着物を着ていた。宿の主人が戸を開けると、女は倒れ込むように中に入ってきた。倒れた女を抱きかかえてみると、その身体は火の様に熱かった。主人は気の毒に思い、着替えをさせ、布団に寝かせ看病した。しかし、熱は下がることなく、女は息を引き取った。主人は、三途の川の渡り賃として六文線を女の手に握らせ、愛知川の無賃橋近くにある梁瀬の墓地に懇ろに葬った。
愛知川宿にある寺の門前に一軒の飴屋があった。真夜中のこと、飴屋の戸を叩く音がする。飴屋の親 父が店に出ると、美しく品格のある女が戸口に立っていた。その肌は透通るように白かった。「飴を下さい」と、女は一文銭を差し出した。親父が飴を袋に入れて手渡すと、女は闇の中に姿を消した。翌晩、また女がやってきて、一文分だけ飴を買いに来て、それが6日間も続いた。
7日間目の夜、その日は雨がシトシトと降っていた。女は傘もささずに店に訪れた。そして、「お金がないので、これで飴を売って下さい」と、女は高価な着物を差し出した。親父は気の毒に思ったので、着物と引き換えに飴を渡し、「どうぞ、お使いください」と店の傘を持たせた。女は何度も頭を下げ、闇の中に姿を消した。
その夜、親父の夢枕に女が立った。そして、今までの経緯を話した。女は、夫が住む都で子を 産もうと、北国から旅してきたのだが、病を患い、この地で亡くなり、親子共に葬られてしまった。ところが、墓の中で子が産まれ、乳をやることも出来ないので、飴を食べさせ育ててきた。「どうか、子どもを助けてさい」と、親父に頼み、女は煙のように消えた。
翌日、親父が梁瀬の墓地に言ってみると、真新しい土饅頭があり、側に女に貸した傘が置いてあった。土饅頭の下から、赤子の泣き声がする。親父は慌てて墓を掘り返してみると、棺桶の中に、女に抱きかかえられた赤子が泣いていた。助け出された赤子は、飴屋の親父に育てられ、その後、京都にある高台寺の高徳な名僧となり、飴屋は末代までも栄えたという。
(写真「子育て飴・扇屋」静岡県掛川市)
(皆月 斜 山口敏太郎事務 所)