記者が若かりしころ、競馬専門紙記者の仲間でマドンナ的存在だった京美人の女性トラックマンをめとって十数年。「奥様、お元気ですか?私も昔、奥様と同じ専門紙に在籍してたんです」。予期せぬ記者の問いかけに、師は一瞬、「おかげさまで」とほおを緩ませた。
まあ、プレイベートはほどほどに、彼の名だたる“武勇伝”といえば、1991年の有馬記念である。断トツの1番人気に支持されたメジロマックイーンをブービー人気の伏兵ダイユウサクで撃破。歴史に残る大波乱を演出した人物こそ何を隠そう、当時は内藤繁春厩舎の調教助手としてダイユウサクを担当していた平田師だった。
厩舎開業2年目の今年は、18馬房で早6勝を挙げる新進気鋭のトレーナー。「今回は大丈夫。勝てる」の堂々のV宣言も、決して軽はずみなマスコミ向けのリップサービスではない。
もっとも、1月26日の新馬戦でいきなり上がり3F33秒8という“究極”の末脚を刻んで大楽勝。これにはダイワスカーレットで桜を制し、オークスの秘密兵器とも目されているランペイアをフローラSに送り出す松田国師も、「今年の牝馬はトップレベル。上がり(3F)33秒台の脚を使えないと大きいところは勝てない。平田君とこの馬が出走することによって、他馬がスイートピーSに回る分、このレースの方が2着、3着を拾いやすい」と警戒を強めている。その遅れてきた大物も、ノーザンファームの育成所では「走る馬」の高評価を得ながら、骨膜や球節軟腫に悩まされて、昨夏のデビュー予定が年明けまでずれ込んだ。さらに、不運は続く。衝撃の新馬勝ち後、桜に向けての優先出走権+賞金加算を狙ってエントリーしたクイーンC、アーリントンC、フラワーCをことごとく除外される憂き目に…。重賞以外の選定を余儀なくされた。
だが、幸いにして、前走のあざみ賞を圧勝。「乗ってる秋山は自信満々でも、見ている私はヒヤヒヤもの。なんせ、中京の4角であれだけ外を回ってくる馬はいくら何でもいない。ホント、あまりにも強かった」。桜の舞台には立てずとも、樫の権利取りの舞台には十二分に間に合った。
「前走は中2週でピリピリ。仮にフラワーC、桜花賞と使っていれば、果たして今のふっくらした体と落ち着きがあったかどうか。中間はソエも出ないし、カイ食いもおう盛。獣医に見せないくらいに丈夫になった。心肺機能は相当高いし、課題のゲートも東京ならあえて練習する必要もないでしょう。今年の2頭は強いが、あの馬たちに挑戦させたくなるくらいウチの馬もいいものを持っているよ」
そのハンサムボーイがベッラレイアに注ぐ情熱は京美人・みちよ夫人が嫉妬するほど(?)。勝ってウオッカ、ダイワスカーレットに挑戦状を叩きつける。