最多勝が懸かった今場所は、腰痛など満身創いで臨んだが、初日から3連敗。4日目に千代の富士の1045勝に並び、5日目に新記録をマーク。7日目には1047勝目を挙げたが、8日目から連敗。10日目には大関・琴欧洲に押し出され7敗目を喫した。魁皇は取組後に師匠・友綱親方と話し合い、現役引退を決めた。引退後は年寄・浅香山として、後進の指導に当たる見込み。
魁皇は88年春場所で初土俵。後に横綱に昇進した曙、貴乃花(現・貴乃花親方)、若乃花や、プロレスラーに転向した力皇(元前頭・力櫻=現プロレスリング・ノア)らと同期。00年名古屋場所後に大関に昇進。通算5度の幕内優勝を果たしたが、故障にも悩まされ横綱昇進はならなかった。大関在位65場所は千代大海(現・佐ノ山親方)と並び歴代1位。通算勝ち星のみならず、幕内在位107場所、幕内出場1444回、幕内勝ち星879勝も歴代最多記録を保持している。
魁皇は「すべての人に感謝したい。魁皇としての人生は最高でした」とのコメントを発表。師匠の友綱親方は「よくやってくれた」と語り、横綱・白鵬は「体がボロボロで気迫だけで土俵に上がっていた。本当にお疲れ様です」と、放駒理事長(元大関・魁傑)は「不世出の名大関として語り継がれると思う」と労をねぎらった。
土俵生活23年。横綱にこそ上がれなかったが、史上最も偉大な大関が、土俵を下りた。
(落合一郎)