ジャニー氏の家族葬は12日、東京・渋谷の関連会社「ジャニーズアイランド」の稽古場で執り行われ、所属タレント約150人が集合。式中、所属タレントを代表してジャニー氏への最後の思いを語った“長男”こと、近藤真彦は事務所を通じてコメントを発表した。
近藤というと1977年、中学1年の時にジャニーズ事務所に入所。79年10月のドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役で俳優デビューを飾り、同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として一世を風靡した。
その後、1980年12月に『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手としてデビュー。80年代を代表する男性アイドルとして、絶大な人気を博し、87年の『日本レコード大賞』においては、『愚か者』で大賞を受賞した。
また、ファンによる無数の“親衛隊”も誕生した。同年代の男性ファンも多く獲得。歌手活動と並行してテレビドラマや映画などにも出演、俳優として活躍の場を広げていった。
そんな近藤のスキャンダルを1989年2月に『FRIDAY』(講談社)が、アメリカ・ニューヨークの地でスッパ抜いた。相手は85年6月に俳優の神田正輝と電撃結婚を発表した歌手・松田聖子との“密会キス”写真だった。
「独身時代から“恋多き女”とささやかれていた松田が、結婚して最初に起こしたスキャンダルでした。ニューヨーク密会当時、マッチは歌手・中森明菜と交際していたこともあり、世間に大きな衝撃を与えましたね。それと同時に自由奔放な松田は批判の的となりました」(芸能関係者)
同年6月、この報道に関して記者会見を開いた松田は、近藤を古くからの友人と主張。松田と同じレコード会社である近藤が、ニューヨークに来ることを知らされ再会する運びとなった。そして松田は、「みんなで会ってね、お茶を飲んでたんですけど、それをパチリとやられた」と密会疑惑を一蹴した。
さらに記者からは、親密な写真についても質問された。松田は、これを笑い話だと思って聞いてほしいと前置きした上で、目の前でイチャつくカップルに興味を抱き、近藤と見入っていたという。そのとき、近藤に近寄り過ぎたアングルを運良く収めたショットと言い切ったのだ。さらに、このカップルが同誌の“おとり”だったことも明かし、松田と近藤の“キス写真”は同誌に「ハメられた」ものだと激白した。
この件を「ドッキリ」みたいだったと松田は回顧し、“不倫”の真相は闇に葬られた。
「ところが、この直後の89年7月に中森が近藤宅の浴室で自殺未遂を図りました。原因はこの報道だったのではないかという説が根強いですね」(テレビ関係者)
当時、中森と人気を二分していた松田。中森の自殺未遂は、近藤との密会の事実にショックを受けたことが原因とも報じられている。また、同年12月、近藤と中森の“金屏風会見”は闇深く芸能界の“七不思議”のひとつとしていまだに語り継がれている。
時が経った2015年末の『NHK紅白歌合戦』で、紅組のトリを松田が、そして白組のトリを近藤がそれぞれ務め、話題を集めた。ともにデビューから35周年の記念イヤーにふさわしい舞台が用意された一方、当時を知る中森の心中をおもんばかるファンも少なくはなかった。
80年代からトップアイドルとして走り続けてきた2人。常にまとわりつくスキャンダルはパフォーマンスのようなものだったのかもしれない。単なる“ドッキリ”なのかは不明だが、1人のスターを奈落の底に突き落とした事実は否定しきれないのでは。