球界で現役選手の自殺を疑われる事件は、1973年3月22日に急逝した元巨人・湯口敏彦氏(享年20歳)以来で、それだけ衝撃度は大きく、計り知れない。病院で急死、死因は「心臓麻痺」と発表されたのに、いまだに自殺説が根強い湯口事件には、それなりの背景があったからだ。
岐阜短大付高(現在の岐阜第一高)時代の1970年春夏甲子園に出場、春ベスト8、夏ベスト4に輝いた超大型左腕・湯口は、箕島高・島本講平(南海→近鉄)、広陵高・佐伯和司(広島→日本ハム)と共に高校球界三羽がらすと呼ばれ、その年のドラフトで巨人に1位指名され、入団した。が、コントロールに難があり、プロの厚い壁に当たった。そんな中、72年11月に行われたファン感謝デーの紅白戦で大乱調。首脳陣から厳しく叱責され、ノイローゼ状態に。病院で鬱病と診断されて、入、退院を繰り返すようになった。73年の春の二軍キャンプには参加したものの、状態が悪化して途中で帰京、そのまま入院。病院で急死している。
「巨人の厳しすぎる指導が純朴な湯口をノイローゼにしてしまい、自殺に追い込んだ」という自殺説が、当時のマスコミでは主流で、巨人首脳陣の責任問題が厳しく追及されている。そういう経緯があるだけに、現在でも病死ではなく、自殺説が根強くささやかれているのだ。
今回の小瀬選手の場合は、転落死した前日まで練習に参加しており、原因は不明だが、事件の状況から警察サイドでは自殺の疑いが強いと見ているという。それだけに、オリックス首脳陣、ナインも衝撃を隠せないでいる。一部には家庭の問題に悩んでいたとの未確認情報もあるが、結婚したばかりだけに、信憑性には欠ける。
小瀬事件の余波は、オリックスだけに止まらない。球界全体に波及している。キャンプ前の1月17日に日本ハム・小林繁投手コーチがまだ57歳なのに、心不全で急死。キャンプイン早々にも日本ハムで、今度は選手と行動を共にするチーム付きのカメラマンの結核が判明して、感染騒動が起こっている。そんな最中に起きた小瀬選手の転落死事件だ。
それでなくとも今年の日本プロ野球界は、強烈な逆風が吹いている。開幕カウントダウンのバンクーバー五輪と6月のサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会という、国民的関心事の二大強敵が立ちはだかっているからだ。その上に相次ぐ事件。2010年の日本プロ野球界は前途多難というしかない。