黒川氏は参院選中から体調を崩し、今月9日に同病院消化器病センターに入院していた。妻で女優の若尾文子さん(73)は12日夜、港区赤坂の自宅高級マンションでインターホン越しに取材に応じ「まさか急に亡くなるとは思わなかった。とてもつらかった」などと弱々しく話した。
共生新党の広報担当者は「先生は衆院選では東京のどの区から出馬しようかとずーっと言っていた。『オレは82歳まで生きるらしい』って笑っていたのに…」と絶句した。
国立新美術館など数多くの作品を国内外で手掛け、昨年、文化功労者を受賞。それだけに収入はケタはずれだ。
生前には「ボクの1時間あたりの講演料は100万円。平均年収は1億5000万円ぐらい」などと説明。都知事選では「給与1円」を公約に掲げ、クルーザー&ヘリチャーター連発のリッチな選挙戦を展開した。年収200億円をぶちあげたこともあったが、実際の総資産は11億円程度とみられる。
自宅マンションは若尾さん名義だ。6000万円で購入した自家用クルーザー「モナ・リザ」号や、総額1000万円で選挙カーに改造したシボレー製トレーラーハウスが残った。ほかに4億3000万円のホンダ製ジェット機を発注済み。愛車はアストンマーチンやポルシェ、7月に衝突事故を起こしたベンツなど高級外国産車を複数所有している。預貯金は5億円あると話していた。
黒川ファミリーには若尾さんのほか、実弟で建築家の黒川雅之氏とその夫人でコーディネーターの加藤タキ氏がいる。被相続人に子供も父母もいない場合の妻の法定相続分は4分の3。税額控除は多少あるにせよ、相当額の相続税がかかることになりそうだ。
ドクター・中松氏は“戦友”の訃報に「天才を失って落胆の極み。都知事選では(得票数で)彼が勝ち、参院選では私が勝った。好敵手として尊敬し合い、1カ月前に電話で次の衆院選は一緒に闘おうと誘われたばかりだった」と打ち明けた。
中松氏が「党名は『天才党』にしよう」と提案し、近く打ち合わせる予定だったという。
「声がしわがれてて、元気がないなあと心配していた。天才党プロジェクトも方向転換しないといけなくなっちゃった。残念です」と話した。
追悼
黒川氏に初めて会ったのは3月5日の都知事選の会見だ。妻の若尾文子さんの応援予定を「サプライズで最後のお願いには来てくれると思う。あっ、サプライズなのにきょう言っちゃった!」と口を押さえて笑ったのが印象的だった。都知事選、参院選と取材させていただいたが、若尾さんへの愛情の深さには驚いた。
謙遜などしない。有権者を前に「若尾文子を独り占めしているから憎まれるかも」などと平気な顔でぶちまけた。
夫人同伴時は約1・5倍張り切った。日程を終えると愛車の後部座席に若尾さんを先に乗せ、その隣にニコニコ顔で乗り込む。嬉しさあまって事務所スタッフに「きょうは寒いからみんなで鍋でも食べて帰ってね」などとやさしくする姿が微笑ましかった。
亡くなる2日前、若尾さんが「私はいい奥さんではなかった」と切り出すと、黒川氏は「そんなこと、そんなこと…」と言葉を詰まらせ「本当に好きだった」と話したという。
これほど愛された若尾さんも幸せだが、ここまで愛した黒川氏も幸せだったろう。取材を通して70歳をすぎた”下町のナポレオン”に愛を教えられた。合掌。(都庁担当・渡辺高嗣)