今から約435年前、織田・徳川連合軍と武田軍が争った長篠の戦い。地元の郷土史家によると、この戦いは三つの要因に分けて考えられるといいます。
一つ目は、鳥居強右衛門に代表される篭城戦。二つ目は、馬防柵を利用した鉄砲戦、そして最後は城兵を救援し鉄砲を有効活用させた鳶ヶ巣山奇襲戦です。
近年の研究では、この三つ目に出てくる鳶ヶ巣山奇襲戦が、長篠の戦いの勝敗を分けた重要なポイントとされる見方が強く、砦として他に、君ヶ臥床、姥ヶ懐、中山、久間山の五つが築かれたわけですが、この中山の砦が今回取り壊されてしまいます。
歴史ファンとしては、とても悲しいことですが、現代の世の中を便利にするためには、仕方のないことでもあります…すでに山は削られて、その際、戦があったことを物語るように、土塁と堀切、そして鉄製の矢じりも出土しました(9月12日現地説明会)。
9月上旬の日曜日、地元の郷土史家の案内で、私はこの中山砦を訪れました。現在は工事中で立ち入り禁止ですが、11月に開催される「消え行く中山砦を歩く会」の下見ということで、特別に中に入ることができました。
9月とは思えないほどの強い日差しの中、汗だくになりながら山を登り、五砦のうち長篠城に一番近いこの中山砦の先端から、長篠城の方角に目を向けました。もう、ここから長篠城を望むことはできなくなると思うと、暑さも忘れてしまうほどいろいろな思いがこみ上げてきました。せめて、ここに中山砦があったという証になる石碑だけでも、どこからでも見えるように大きく建設してくれることを、今はただ切に願うばかりです。
(「戦国お城ライター」Asami 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou