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天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 鳩山一郎・薫子夫人(下)

 鳩山家の血筋はいずれも揃って偏差値の高い超頭脳の持ち主で、「華麗なる一族」を構成している。
 鳩山一郎の父・和夫は日本における法曹界の先駆者で、弁護士から東京帝国大学教授になり、わが国第1号の法学博士になっている。その後、代議士になり、やがて衆院議長の椅子にも座っている。
 母は、春子。こちらは我が国の女子教育界を代表する教育者で、いまの共立女子学園の創設にも携わっている。夫・和夫を大臣にするために、時の首相だった原敬に切々たる手紙を書き送ったこともある“政治家の妻の鑑”でもあった。
 また、鳩山薫子の義母ともなるこの春子は、一方で長男・一郎、次男・秀夫の2人の息子の教育にも熱心で、2人を小学生の頃から毎朝3時半に起こし、自ら英語、数学、漢字を教えてもいる。薫子を上回る「女丈夫」「良妻賢母」の一方で、元祖“教育ママ”でもあったのだ。

 さて、一郎・薫子夫妻というと、1男5女をもうけたが、長男の威一郎がまたとんでもない超頭脳の持ち主だった。東京帝国大学法学部で「全優」の首席卒業。大蔵省に入ったあとは主計局長、事務次官とエリートコースを歩み、のちに田中角栄元首相に誘われて政界入りし、参院議員として外務大臣に就任している。この威一郎の政界入りに備えての薫子の「賢母」ぶりを示す、こんなエピソードがある。鳩山家を知る古い政界関係者から、筆者が聞いている。
 「威一郎が大蔵省に入ったあと、薫子はわざわざ2人で謡曲を習った。謡曲は腹から声を出さねばならず、早くから政界進出をにらんで説得力、迫力ある演説の“予行演習”をさせていた」

 その威一郎の妻は、安子。タイヤメーカー『ブリヂストン』の創業者・石橋正二郎の長女である。ちなみに、鳩山家はこの石橋家を通じた形で美智子皇后の生家である『日清製粉』創業の正田家とつながり、天皇家にもつながることになる。
 そのうえで、威一郎・安子夫妻には2男1女ができ、長男・由紀夫は東大工学部を卒業。のちに政界入りして民主党政権で首相。昨年亡くなった次男・邦夫は東大法学部を首席卒業、由紀夫より一足先に代議士になり、文部・労働大臣などを歴任したといった具合だ。

 一方、薫子の夫である一郎は東京帝国大学法科を優秀な成績で卒業。その後、29歳で東京市議、32歳で戦前の政友会から代議士として初当選したが、戦後は脳出血で倒れ車椅子生活を余儀なくされる中で、「悲劇の政治家」とも言われた。
 当初、鳩山は、吉田茂元首相とはともに自由党を旗揚げするなど蜜月関係だった。また政治資金の面倒をみたりしていたが、戦前に軍国主義の台頭に協力としたという理由でGHQからパージ(公職追放)を受け、パージ解除後、政界復帰を窺っていたものの前述の脳出血で倒れるという苦境に見舞われている。しかし、リハビリで政界復帰が可能となるや、今度は吉田が鳩山を遠ざけ、2人の関係は悪化していったのだった。
 やがて鳩山は自由党を離党して日本民主党を結成、第5次内閣で人気凋落の吉田を退陣に追い込み、鳩山内閣を誕生させたのは昭和29年12月。ここに薫子の鳩山家に嫁いでの悲願が達成されたということだった。

 首相になった鳩山は、3次における内閣を率いる中で、日ソ(注・ソ連、現ロシア)国交回復への執念を燃やし続け、昭和31年10月、ついに日ソ国交回復共同宣言の調印にこぎつけた。このとき結ばれたソ連との条約では、「北方領土」4島のうち歯舞、色丹2島返還が約束されているが、いまなお領土問題解決には至っていないのは読者もご存知のところである。
 その鳩山は退陣後の2年半後に死去。一方の薫子はその夫の死から23年後、93歳の天寿をまっとうした。その遺体は鳩山家の“本丸”「音羽御殿」(東京・文京区)の亡き一郎の遺影がかかる寝室に安置されたが、薫子の安らかな死に顔に白い布はかけられておらず、弔問客はその顔に無言の別れをした。生前、親しかった人々にこうした形を取るのは、鳩山家代々の“流儀”で、一郎のそれも、また同じだった。その後、薫子が共立女子学園理事長も務めていたことから共立学園葬がいとなまれ、あらかじめ一郎の墓の隣につくっておいた自らの墓に入り、静かな眠りについている。

 鳩山は性格も手伝って、政治的にもいささか甘いところがあった。そうした中で、薫子は鳩山が首相になるや閣僚をはじめとする政治家夫人を集めての親睦会をつくって、政権の“一致団結”を後押しをするなど、全力で夫を支えたものだった。
 「悲劇の政治家」に天下を取らせたのは、薫子あってのものと言えた。以後、歴代総理夫人の多くはこれを見習い、閣僚夫人との親睦会をやることで夫を支えることに汗を流している。
 薫子の“知恵”が、いまにして引き継がれているということである。
=敬称略=
(次号は石橋湛山・うめ夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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