鶴岡八幡宮は、頼朝の5代前・源頼義が石清水八幡宮から、祭神の霊を分けてもらう勧請(かんじょう)を行ったのがはじまり。鶴岡八幡宮の祭神は、応神天皇、神話に登場する比売神(ひめがみ)、神功皇后。頼朝が現在の場所に移設した。また、石清水八幡宮のはじまりは、平安時代初期、空海の弟子である行教が宇佐宮に参籠(さんろう)し、八幡様から受けた託宣「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」と伝えられている。
鶴岡八幡宮は幕府の重要な儀式や行事が執り行われた政治的中心地であり、多くの文化財も残されている。鶴岡八幡宮所蔵の国宝「女衣(にょい)」は、完全に保存されている女装では国内最古。平安朝の古式を伝え、本殿奥にある宝物殿で複製を展示している。現在、鶴岡八幡宮では、2月1日から4月30日までの期間限定で、「静御前キティー守」を授与している。これは、お守り袋の絵柄に、頼朝の弟義経の妻である静御前をイメージしたキャラクターを採用したもの。
八幡宮は、摂社らを含めると全国に4万社以上ある。最も身近な神社の一つといえる八幡神社にまつられている八幡様には、多くのエピソードが残されている。東大寺の大仏建立の際には、大仏に塗る金が不足したが、神霊となった八幡様から金は国内から出るという託宣があり、陸奥国から金が献上された。また、「宇佐八幡宮神託事件」も有名だ。皇位を狙った道鏡に対し、朝廷は、和気清麻呂(わけのきよまろ)を宇佐神宮に派遣し、八幡様からお告げがあったという道鏡の進言を確かめた。現在、皇居を取り囲むお濠のそばに、和気清麻呂像が建っている。
武運の神でもある八幡様は、武家からも厚く信仰された。鶴岡八幡宮を勧請した頼義は、平安時代に起きた「前九年の役」のとき、陸奥守・鎮守府将軍として奥州へ向かった。途中、荻窪八幡神社(東京都杉並区)を参詣し戦勝を祈願したといわれている。その荻窪八幡神社に、「道灌槇(どうかんまき)」と呼ばれる槇の木がある。源氏の故事にならい戦勝を祈願した太田道灌が植樹したという。
鶴岡八幡宮の本殿へ続く階段脇には「樹齢1000年」の大イチョウがあり、鎌倉のシンボルとして愛されてきた。しかし、昨年、強風のため倒れた。その後、幹の一部がそばに移植された。
その大イチョウの気になる現在の様子だが、残った根から出ている新芽はだいぶ育っている。移植された幹は、根がない状態だが、専門家によると、数年間は様子を見なければ動向はわからないという。現在、鶴岡八幡宮を訪れる人はみな、大イチョウの前で立ち止まり、祈りをささげている。(竹内みちまろ)