自身の芸人人生も、まさに波瀾万丈。ドン底と天国の両方を経験したうえに、学生時代からの大親友で元相方だった中島忠幸さんを闘病の末、亡くしている。
そんな竹山の激動は、産まれた時点で始まっていた。子どものころは絵に描いたような裕福な家庭で、幼稚園のときに100万円のバイオリンを買ってもらった。幼稚園の送迎は、父が「若い衆」と呼んでいた者の仕事だった。3戸の建て売り敷地内には、ドーベルマン、秋田犬が放し飼い。豪邸のなかには象牙、虎の敷物、火縄銃が飾られていた。
高校のころは、父に地元・福岡を一望できる山に連れていかれ、「あそこのビルからあそこのビルまでが明日、俺の土地になる」と言われた。そのころ、豪邸の応接間で父がバッグから1億円の札束を出して、“100万円の効率のよい数え方”を教えてくれた。「法律ギリギリがいちばん儲かる」という名言を残したのも、竹山が高校のときだ。
これほどまでの仰天エピソードがそろうと、父は当然、極道渡世の住人だったと思われる。ところが、竹山いわく、「地上げ屋」だったとか。
結局、その素性を知る前に、父は逝去。死後、多額の借金があることが発覚したが、今なおその当時の金回り、土地の資産価値、そして、ほんとうの職業はわからずだ。
今となってはそのすべてが、ギャラの入るネタとなった。父は、永遠に使えるギフトを愛息に遺したのかもしれない。