近藤真彦や田原俊彦。少年隊、光GENJIにSMAP。まだ10代だった彼らが、寝食をともにしていたのが、当時は東京・原宿の一等地に居を構えていた呼称・ジャニーズ合宿所だ。
広さは驚異の、7LDK。リビングだけで、キャッチボールができた。いちばん奥が、先輩の部屋。これは、年功序列を保つための決まり事項。およそ30年前は、田原ことトシちゃんが陣取っていた。ちなみに、この部屋から玄関まで、ポケットバイクを走らせることも可能だった。
トシちゃんがいたころに入所してきたのが、元光GENJIの諸星和己。家出中だったところをジャニー喜多川社長にスカウトされて、住む場所をあてがわれた。当時の寮訓は厳しく、最年長のトシちゃんが帰宅するまで、食事は厳禁。キッチンには大皿がたくさん並んでいたが、21時まで手をつけられなかった。
ある日の夜。諸星が、冷蔵庫に入っていた紙パックのいちご牛乳を飲み、残りを戻した。帰宅後、後輩を全員並ばせて、「誰だ、俺のいちご牛乳を飲んだのは!」と激怒したのは、トシちゃん。紙パックには「104」(トシ)と明記されていたことを、このとき初めて知った諸星。その後ひとり、正座させられた。
いっぽう、ハートフルな実話を残しているのは、TOKIOの城島茂。まだジャニーズJr.だったころ、同僚がデビュー、ひとり暮らしをどんどんはじめていき、合宿所にはSMAP・中居正広と2人だけになった。
年上の城島は、仕事から帰ってきた中居に、「そこにインスタントラーメンあるで。今日の俺の分やけど、食べ」と譲ること、しばしば。Jr.時代は誰もが赤貧だが、城島の恩を中居は今でも覚えている。
ちなみに、そんな実情を耳にした少年隊・東山紀之は、当時住んでいた高級マンションに後輩を呼びよせては、1万円の食費をくれたとか。毎日。それを数か月。ヒガシのスケールは、規格外である。