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神保町を歩く(2)

【歴史が凝縮、すずらん通り】
 「すずらん通り」入り口まで歩いた。街路灯復元工事竣工の案内板が立てられていた。写真を見ると、1937年頃の街路灯のイメージを復元したもので、すずらんの形をしている。

 すずらん通りは、靖国通りが開通するまで、長く神保町のメインストリートだった。現在も、老舗の書店や、和菓子店、かばん店らが肩を寄せ合っている。大型道路で街が寸断されることを嫌う人には、路地裏にも商店があるすずらん通り一帯の雰囲気に、ほっとするかもしれない。

 案内板で紹介されていた街路灯は、すずらん通りの並木に沿って、見上げることができる。5灯式のLED街路灯が28基。並木はベニバナトチノキで、毎年、「すずらんまつり」が開催される5月頃、赤い花を咲かせる。

【学生の街に建つ「学士会館」】
 すずらん通りを抜けて、皇居方面に向かうと、重厚な建物がある。生け垣の手前に、野球ボールをつかむ手首のモニュメント「日本野球発祥の地」が見える。この建物は、国の登録有形文化財で「学士会館」。東京大学とその前身である開成学校の跡地に建っている。

 「学士会館」は天井が高く、「学士会館」内にあるレストランや喫茶店に入ると大理石を使った柱や天井を見ることができる。建築に詳しい人に聞くと、天井や柱などの様式を見れば、建物やその一部が1923年の関東大震災に耐えたものなのか、震災後に作られたものなのかが予想できるそうだ。しかし、実際のところは、多数の建物が崩壊し、残ったものは、聞けばたいてい教えてもらえる。

 「学士会館」では、談話室を、一般に無料開放している。重厚な雰囲気の中で、恋人と待ち合わせをすることも可能だ。本格フランス料理のランチがお手頃価格で提供されているレストランは、静かな人気を呼んでいる。

【留学生の街、かばんの街】
 現在、神保町周辺、あるいは、神田地域には、共立女子大学をはじめ、専修大学、日本大学、明治大学など名門校の校舎が集まっている。如水会館は一橋大学の跡地に建っており、かつては、学生の街として、今以上に賑わっていた。

 また、「周恩来『十九歳の東京日記』」(矢吹晋編/鈴木博訳・小学館文庫)には、周恩来が神保町の古本屋街に通った様子が書かれている。神田地域が留学生の街であったころの様子も伝わってくる。

 学生といえば学生かばんが必要。神保町周辺に、かばん店がずらりと並んでいた時代もあった。昭和から平成にかけて、大学の郊外移転や若者のファッションの変化などがあり、会社員向けのかばんを主力に扱う店などを残し、多くが閉店していった。

【皇居周辺】
 「学士会館」を過ぎて進むと、皇居・平川門が見える。「江戸城築城・550年に当たって」という標と、江戸城を築城した太田道灌を追慕する碑がある。日曜日のためか、外国人を含めた観光客が多い。

 また、周辺を走るランナーも見られた。皇居周辺は、ジョギングコースとして人気が高い。しかし、それに伴う危険も指摘されている。ある商店の方は、スピードを出すトレーニング中のアスリートと小さな子どもや高齢者がすれ違う時の危険性を、特に懸念していた。ランナーにマナーを促す看板は設置されているが不十分とし、千代田区では、危険を防止するためのルールづくりに着手している。

【「震災いちょう」と震災の教訓】
 お濠沿いを気象庁前交差点方面へ歩くと、「震災いちょう」がある。樹齢150年超と考えられているこのイチョウは、銘文を読むと、1923年の震災の時には付近にあった。焼け残り、人々へ復興への希望を与えていた。区画整理で切り倒されることとなったが、岡田武松さんと清野長太郎さんの尽力で、現在の場所に移植された。
 
 阪神淡路大震災から16年を迎え、全国で、防災に対する関心がますます高まっている。

 千代田区でも、2011年1月17日、秋葉原地区を中心にして「帰宅困難者避難訓練」が実施された。訓練想定は、“17日午前に発生したマグニチュード7.3の首都直下地震のため公共交通機関が断絶、多数の帰宅困難者が発生”。秋葉原から四ツ谷外濠公園まで約6キロメートルを歩く「徒歩帰宅訓練」に、約220名が参加した。

 平成17年の国勢調査によると、千代田区の人口は、昼間は約85万人、夜間は約4万人となっている。(竹内みちまろ)

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