慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されたといわれ、旅人のチェックや、鉄砲の取り締まりをおこなっていたそうだ。
もちろん曲者(くせもの)と疑われたら、関所内にある牢屋に放り込まれることになる。問題なく関所を通るためには通行証、いわゆる通行手形が必要だが、発行されるには身分がはっきりとわかる者という基準が明確に存在する。つまり、何か犯罪を犯したお尋ね者は、通行手形が発行されないわけだ。
当時の気賀関所の営業時間は朝6時〜夕方18時までだが、この地を統治していた旗本・近藤家は地元民に対しては犬が通る道、通称『犬くぐり道』といわれた裏道を作った。
『犬が通る道だから人が通るわけがない』という大義名分で黙認して、営業時間外でも地元民が特別に関所を通れるように配慮していたのだ。そうはいっても、お尋ね者が利用しないように目を光らせたのは言うまでもない…がそのスキを見逃すようならお尋ね者とはいえない。
幕末のお尋ね者として有名な清水次郎長の弟子と知られる『森の石松』がその1人である。
筆者が気賀関所に関わるある情報筋から聞いた話だと、森の石松は関所の裏道『犬くぐり道』を関所サイドに見つかることなく、自由に利用していたとのことだ。
どういう手法を使って裏道『犬くぐり道』を通ったかは、残念ながら不明である。この裏エピソードは、真実かどうか証明できる歴史的資料が無いため、気賀関所の公的なパンフレットやホームページには記載されることはないが、物語や伝説として語り継がれていると、前出の情報筋が話してくれた。
この国には長きにわたり、語り継がれる裏エピソードがまだまだ眠っている。
文科系忍者記者ドラゴン・ジョー(山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou