こう指摘するのは、地震学が専門の武蔵野学院大特任教授・島村英紀氏である。
海外に目を向けると、1952年のカムチャツカ地震(M9)、'60年のチリ地震(M9.5)、'64年のアラスカ地震(M9.2)、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)では、近隣の火山が例外なく噴火している。やはり巨大地震と火山噴火は関連があるのか。日本では東日本大震災から6年が経ち、島村氏も「富士山の噴火の可能性も捨てきれません。引き続き警戒した方がいいと思います」と警鐘を鳴らしている。
富士山の最後の噴火は、江戸時代中期、1707年に起きた宝永大噴火。その直前には、推定M8.6〜9クラスとされる宝永地震が発生している。南海トラフ巨大地震だ。
「この時は、東海道沖を震源とする東海地震と紀伊半島など南海道沖を震源とする南海地震が同時に発生し、南海トラフのほぼ全域の断層が破壊されています。死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋は2万戸に達したと推測され、記録に残る日本最大級の地震とも言われているのです」(サイエンスライター)
宝永地震が起きた10月28日の翌日の朝方、現在の静岡県富士宮市付近を震源とする強い地震が発生し、駿河、甲斐で強い揺れを感じたという記録が残っている。さらに11月10日頃からは富士山の山麓で地響きが始まり、12月16日に宝永大噴火が始まった。
当時、沼津市東熊堂にある大泉寺にいた僧・教悦は、『元禄大地震覚書』で、そもそも富士山の地響きは宝永地震の4年前に関東地方を襲った元禄地震(推定M7.9〜8.5)の後に始まったとも記している。
「いずれにせよ当時の記録を総合すれば、宝永地震の余震が続く中、富士山の山麓一帯ではM4からM5程度の地震が数十回起きた後に噴火。東斜面から高温の軽石が大量に麓へ降下し、家屋を焼いて田畑を埋め尽くしたという。夕暮れになると噴煙の中に火柱が見え稲妻も飛び交い、約2週間にわたり人々を脅かし続けたのです。噴煙は上空20キロにまで達し、火山灰は100キロ離れた江戸にまで達したといいます」(同)
富士山は、歴史上分かっているだけで12回以上の大噴火を起こしている。では、宝永大噴火の前の貞観噴火の際はどうだったのか。時は平安時代初期の864年にまでさかのぼる。
「貞観大噴火では、溶岩が北西麓の一帯を埋め尽くした。そこへ木々が覆い茂り森林地帯として再生したのが青木ヶ原樹海です。宝永大噴火とともに、文献に残る富士山の噴火で最大規模とも言われています」(同)
貞観大噴火の記録は、朝廷が編纂した歴史書『日本三代実録』に収められており、専門家の間では信頼すべき唯一の資料だという。それによれば、7月2日、駿河国から朝廷に「十数日前から富士山が噴火しており、流出した溶岩流が本栖湖に流入した」という第一報が届いている。次いで8月下旬には第二報が甲斐国から京都にもたらされた。
「溶岩流は北西の富士五湖の本栖湖と、当時、北麓にあった広大な“せの海”という湖に流入し、民家が溶岩流の下敷きとなったばかりか、別の溶岩の流れは河口湖方面へ向かったという。現在の西湖と精進湖は、溶岩が流れ込んだせの海の名残なのです。また、この甲斐国からの報告には、湖への溶岩流入前に大きな地震があったことも書かれています」(地元記者)
宝永大噴火と同じく、この貞観大噴火についても巨大地震との関連性が指摘されている。
「貞観大噴火の5年後の869年には、M8.3以上と言われる貞観地震が起きている。しかも震源は三陸沖で、津波により東北地方は甚大な被害を受けたとされ、東日本大震災はこの地震の再来だったとまで言われている。そもそも、この時期は地震と噴火が繰り返し発生しており、現在と状況が似ているとする専門家もいるのです」(前出・サイエンスライター)
順に追えば、貞観大噴火、貞観地震の4年後の868年に、兵庫県近辺を震源とした播磨国地震(推定M7.0以上)、878年に相模トラフを震源としたとされ関東地方に被害を出した相模・武蔵地震(推定M7.4)、887年には諸説あるが南海トラフ巨大地震の見方が強い仁和地震(推定M8.0〜8.5)、その後、900年代に入ると青森県と秋田県にまたがる十和田火山(十和田湖=カルデラ湖)が大噴火を起こしている。
「さらに貞観地震の6年前に現在の富山県から新潟県にかけても大地震が、同時期に鳥取県付近でも地震が起きている。現在に置き換えれば'04年の新潟中越地震、'00年の鳥取県西部地震や昨年の中部地震、播磨国地震は阪神淡路大震災となる。となれば、まだ起きていない巨大地震は関東近辺、そして南海トラフを震源としたもの。連鎖という見方をすれば、東日本大震災から富士山噴火、そして関東直下や南海トラフ巨大地震への流れも考えられるのです」(同)
話を宝永大噴火に戻せば、現代に起きたとしても被害は甚大だ。
「東京都内では数センチ、横浜あたりでも十数センチの火山灰が降り積もると予想されています。東海道新幹線は降灰により運行ができない。東名高速の御殿場付近では1メートル以上の火山礫が堆積するとされ、完全に寸断されてしまいます」(同)
首都高速も数センチの火山灰で覆われ、使えなくなる見込みだ。もちろん、大気中に舞う火山灰で飛行機も運航が不可能となる。
「飛行機は構造上、火山灰にめっぽう弱い。エンジンの燃焼室に吸い込まれると溶けてタービンの羽根などに付着して固まったり、冷却孔が塞がれることで、エンジンが故障してしまうからです。操縦席の窓ガラスには傷がつき、視界も塞がれてしまう。実際に海外では、機体が大気中の火山灰を吸い込みエンジンが停止するケースが起きているのです」(航空雑誌編集者)
最近の例では、2010年4月、アイスランドにあるエイヤフィヤトラヨークトル山の噴火で、欧州の約30カ国の空港が閉鎖となり、1週間にわたって10万便もの航空機が運休した。
「富士山の噴火でもしばらくは完全ストップとなるでしょう。宝永大噴火の上空20キロまで吹き上げた噴煙を考えれば、富士山から相当離れた場所でも運航ができなくなる。そもそも、空港に火山灰がわずかでも溜まっていれば、離発着自体ができませんからね」(同)
また、送電線に湿った火山灰が降り積もれば、その重みで送電線が断線することもあるという。そのため、広域で停電が起こる可能性さえある。加えて、飛行機のジェットエンジンと同じ構造のガスタービンを備えた火力発電所が東京湾沿岸に集中していることも問題だ。東京湾沿岸は、富士山が噴火した場合に大量の灰が降り注ぐとされ、稼働が困難と見られているのだ。
さらに噴火の被害で恐ろしいのが、火山灰そのものにより引き起こされる健康被害だ。
「火山灰はガラス質の物質を含みます。これを吸い込んで体調を崩す人の数も、数百万人単位になることが予測されている。目が傷ついたり、気管支や肺に入り込んで呼吸困難や気管支炎を発生させる恐れもあります」(健康ライター)
政府は、富士山の噴火による火山灰はわずか数センチ降り積もっただけでも水と混ざり合って泥状になり、滑りやすくなるため自動車などの移動は困難となると注意を喚起している。噴火後数日間は外出もままならなくなるだろう。しかも火山灰は積雪などよりも重量があり、建築物が押し潰される可能性さえもある。
「直接、噴火の被害を受けていなくても、体調を崩した場合に病院へ行くこともできず、交通状況が復旧するまで自宅などで待機するしかない。火山灰は大気中に数カ月間は滞留するため、長期間にわたり健康被害が出るとされています」(同)
ちなみに宝永大噴火では、当時の江戸の町や相模、武蔵の国一帯に約7億立方メートル、東京ドームで約560杯分もの火山灰を降り積もらせたという。当時、江戸に住んでいた朱子学者の新井白石は『折たく柴の記』で、富士山大噴火により江戸市中に灰が降ったときの様子を次のように克明に記している。
「前夜の地震に続いて昼頃から雷鳴のような音が聞こえ、やがて雪のように白灰が降ってきた。降灰は午後8時頃やんだが、地鳴りと地震はそのまま。(旧暦の11月)25日からは黒灰が降り始め、空中に飛散する大量の火山灰で呼吸器の疾患を起こす人が続出した」
防災ジャーナリストの渡辺実氏が言う。
「かつての富士山大噴火では、それでも犠牲者が出なかったとされている。理由は、麓に人が住んでいなかったためです。しかし、現代のシミュレーションの中には溶岩流が東名高速を呑み込む恐ろしいものもある。宝永大噴火が起きた江戸時代とは比べものにならない被害が発生するでしょう」
渡辺氏は、「富士山の観測網には今のところ異常は出ていない」としながらも、今後、噴火の可能性についてこう語る。
「富士山の噴火は首都直下地震の後か、南海トラフの後という説が有力ですが、東日本大震災であれだけ地殻が東へ引っ張られ、火山が活性化しただけに、今であっても不思議ではないのです」
加えて島村氏は、巨大地震の危険をこう指摘している。
「貞観時代と現代が同じような地震活動期だと言われるが、それに関しては、さらに学問的な検証が必要です。しかし双方、地下の基盤岩が動き、地震が起こりやすい状態にあることは間違いない。江戸時代の18世紀から19世紀にかけても地震が頻発していましたが、20世紀は比較的少なく、それが当たり前の状態となっていた。しかし、東日本大震災によって、地震が頻発する時代に戻ったと思われます」
大噴火と連鎖して起きた際は、過去とは違った想像を絶する被害が待ち受けているかもしれない。