2日目の試合前には、山下大輔氏と遠藤一彦氏がセレモニアルピッチでイベントに華を添え、試合後には「4522敗の記憶」(双葉社)の著者の村瀬秀信氏と、お笑いコンビ・ダーリンハニーの吉川正洋氏の大のホエールズ&ベイスターズファンのMCで、レジェンドOB2人を迎えてのトークショーを行った。
リリーフカーに乗って横浜大洋時代のホームのユニフォーム姿で颯爽と登場した2人は、当時のユニフォームを掲げるファン達の声援に応え、トークショーをスタート。話題は山下氏の入団にちなみユニフォームを変更し、しかも出身地の静岡から“お茶とみかん“からイメージされたことや、山下氏の入寮の際にベンツでやってきたなどの伝説を披露。続いて、川崎から横浜に移転してから入団した遠藤氏も、このユニフォームをキャンプ時だけ着用したことがあり、しかもお馴染みの背番号24は、キャンプ後に当時の監督・別当薫氏の鶴の一声で38から変更されたことなどの秘話も明かされた。
横浜スタジアム移転の一期生の遠藤氏を「スマートで横浜らしい」と評した山下氏は「中塚(政幸)さんとか長田(幸雄)さんとか、横浜には似合わない」人が多かったと突然ディスり始めると、遠征時の新幹線の食堂車の酒を大洋の選手が飲み尽くしたとの“ホエールズ酒豪伝説”も暴露し、「今の選手はあまり飲まなくなって、チームが強くなった」と笑わせた。
遠藤氏も巨人・クロマティを三振に取った際の”頭を指すポーズ”はずっと「狙っていた」と明かし、若菜嘉晴氏とのバッテリー間での“ノーサイン伝説”は若菜氏のリードがでたらめだったことで、「好きに投げさせろ」との発想から生まれたと暴露。「それでも捕れる彼は天才」と振り返った。その他にも、歴代助っ人外国人との思い出や、山下氏得意の駄洒落も飛び出し、オールドファンは懐かしく、最近のファンにも歴史の勉強となるような、各年代に興味を持てるような楽しいトークが繰り広げられた。
ベイスターズに対して、山下氏は「ヘッドコーチをしていた98年以来の優勝を実現してほしい」、遠藤氏は「実績のある東や濱口が戻ってくれば、優勝という結果も」と期待を寄せ、最後には全員で決め台詞の“I☆YOKOHAMA”をコールし、ファンと共に楽しい時間を共有した。
チームも鬼門の交流戦を貯金3で終えた。アニバーサリーイヤーに、多くのOBも期待している実りの秋を迎え、勝利の美酒を浴びたいものだ。
写真・取材・文 / 萩原孝弘