戦国時代、足軽など雑兵は合戦が終わると敵領地の民家に押し入り略奪(これを「乱取り」という)を行うことは当たり前の行為であり、大名もそれを止めなかった。略奪は雑兵にとって、大切なギャラであったのだ。
その略奪の中で、もっとも高価だったのが人間である。いざ合戦となると、戦場に奴隷商人などがやってきて、捕らえた人や物品をその場で金に換えてくれたという。
値段はいまの金額で、人ひとり数千円から20万円程度、雑兵・・・といっても、ほとんど百姓の出稼ぎだから悪い稼ぎではない。
かの桶狭間の戦いで、織田信長の兵は4千~5千人に対して、今川義元の兵2万5千人と圧倒的な差があったのに、信長が勝てたのは、今川勢が休んでいる間に、雑兵たちが地元の村などに略奪を行っており、兵が手薄になっていたという説もあるくらいだ。
足軽など雑兵は、槍や鎧兜は自前、食糧も自前、食糧の配給がなければ、自分たちで村を襲い食糧などを奪い取らないといけない。当然、殿様もこれは黙認するしかない。
奴隷商人に買い取られた人は、家にある程度の金があれば、家の者が買い戻す。金がなければ奴隷労働者(下人や遊女)として売られていった。
これを止めたのが、織田信長だと言われている。理由はカンタンだ。他国に侵略し征服しても、その土地の田畑を耕す人間がいなければ何にもならない。
後に続く豊臣秀吉もそれに習い、キリスト教徒やヨーロッパ人が日本人奴隷を海外に売っていることを知り激怒したという話は有名だ。
秀吉はヨーロッパ人に人身売買を禁止するが、これは何も人権意識で禁止したわけではない。日本の労働力が海外に流出することが許せなかったのだ。その証拠に秀吉の兵は朝鮮出兵のとき、大勢の朝鮮人を捕らえ、現地で強制労働をさせ、日本に連れ帰っている。
やがて戦国の時代は終わるが、人身売買がなくなったわけではない。貧しい親が我が子を売るのは当たり前で、人さらいも昭和初期になるまでいたという。
プロフィール
巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。