滝沢といえば、今井翼とのデュオ・タッキー&翼(タキつば)時代から、SNSを駆使したデジタル映像・拡散をひと足早く導入。自宅マンションに編集機材をそろえており、本物のスタジオさながら。タキつばのコンサートで流すVTRやミュージックビデオ、後輩のNEWS、Snow Manの映像も制作していた。
10代のころから兄貴肌でリーダー気質だったため、一人暮らしを始めたばかりの嵐の相葉雅紀をおよそ1年間、居候させたこともある。近所の商店街にある焼肉屋に、しょっちゅう連れていった。
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自身の映像編集の腕を上げるため、相葉を主役にスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『プライベート・ライアン』をベースにしたプライベートムービーを撮ったこともある。滝沢ひとりが演出・監督・脚本を担い、VHSのビデオテープのフィルムに収めたという。
故・ジャニー喜多川社長のDNAが流れているため、「小さいジャニーさん」と呼ばれていた。そんな滝沢のDNAが流れている相葉は嵐でデビュー後、クリエイターとしての才覚を発揮した。15年のドームツアー「ARASHI LIVE TOUR 2015 Japonism」で発売するカレンダーのスチールカメラマンになったのだ。
コンセプトは、ツアータイトル、最新アルバムの「Japonism」から“日本”。メンバー5人が日本をタイムスリップすることをベースに、江戸時代の侍、昭和初期など12カ月の物語を描いた。
撮影のために、多忙なメンバーのスケジュールを丸1日押さえた。相葉自身も多忙だったが、代役スタッフ5人を連れて事前にロケハンするほど気合を入れた。カメラ位置やポージングをおおむね確定させて、代役で12カ月分を撮りきった。
「ロケハンでは全工程を5、6時間で終えられましたが、撮影本番はまさかの雨。相葉さんは監督さながらに『ごめんね。でも、雨は撮影には映らないから頑張ろう』と声がけして、メンバーのテンションを下げまいと努めたそうです」(アイドル雑誌の古参ライター)
撮影は予定通り1日で終えた。完成作は軒並み好評。だが、文字通りの強行スケジュールだったため、“次作”の実現に至っていない。
この15年には、東日本大震災復興支援コンサート「ARASHI BLAST in Miyagi」でグッズ監修も担当した相葉。滝沢と同じく、裏方としての才能もあったりして。
(伊藤由華)