さんまにとって仲本さんは芸能界の大先輩であるとともに、一時期は裏番組同士で激しい視聴率争いを繰り広げるライバルでもあった。
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ドリフの名物番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)は1969年にスタート。これにより高い人気を誇っていた裏番組の『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系)が終了に追い込まれる。この経緯から、放送時間の土曜8時(20時)を取って、TBSとフジテレビの激しい視聴率争いが「土8戦争」と呼ばれるようになる。
70年代の始めは快進撃を続けた「全員集合」だが、一時期は「欽ドン!」こと『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)に負ける。だが、2020年に亡くなった志村けんさんのメンバー加入により再び巻き返しを図る。フジテレビの次なる一手として打ち出されたのが1981年5月にスタートした、さんまやビートたけしらが出演した『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)であり、徐々に視聴率の猛追を始める。1985年には「全員集合」を終了に追い込む。
作り込まれた安定の笑いを志向する「全員集合」に対し、「ひょうきん族」はアドリブ全開の暴走する笑いを見せていた。「ドリフ」が古く、「ひょうきん族」が新しいものだったと言ってもいい。たけしも志村さんの死去を受けて、朝日新聞社のニュースサイト「withnews」のインタビューでは「いかりやさんは昔風の人だった」と振り返っている。ただ、「ドリフターズが中心にやって関東の牙城を守った」とドリフの功績も讃えている。
この「土8戦争」は「ドリフ」と「ひょうきん族」の対決に限っては、最終的にフジテレビ側が勝利したと言える。だが、間もなくTBSがスタートさせた加藤茶と志村さんによる『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が好評となり、「ひょうきん族」も1989年に終了することとなった。