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ドリフとさんま、たけしが直接対決した「土8戦争」終了に追い込まれた敗者は

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明石家さんま

 ドリフターズのメンバーだった仲本工事さんが交通事故により81歳で亡くなり、芸能界からは追悼の声が上がっている。明石家さんまは、10月22日放送の『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)で、今年6月に『さんまのまんま』(関西テレビ制作・フジテレビ系)へ仲本さんらが出演した思い出を語った。

 さんまにとって仲本さんは芸能界の大先輩であるとともに、一時期は裏番組同士で激しい視聴率争いを繰り広げるライバルでもあった。

 ​>>仲本工事さん、妻・三代純歌と娘らが最期をみとる 事故現場は妻の店の近く<<​​​

 ドリフの名物番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)は1969年にスタート。これにより高い人気を誇っていた裏番組の『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系)が終了に追い込まれる。この経緯から、放送時間の土曜8時(20時)を取って、TBSとフジテレビの激しい視聴率争いが「土8戦争」と呼ばれるようになる。

 70年代の始めは快進撃を続けた「全員集合」だが、一時期は「欽ドン!」こと『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)に負ける。だが、2020年に亡くなった志村けんさんのメンバー加入により再び巻き返しを図る。フジテレビの次なる一手として打ち出されたのが1981年5月にスタートした、さんまやビートたけしらが出演した『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)であり、徐々に視聴率の猛追を始める。1985年には「全員集合」を終了に追い込む。

 作り込まれた安定の笑いを志向する「全員集合」に対し、「ひょうきん族」はアドリブ全開の暴走する笑いを見せていた。「ドリフ」が古く、「ひょうきん族」が新しいものだったと言ってもいい。たけしも志村さんの死去を受けて、朝日新聞社のニュースサイト「withnews」のインタビューでは「いかりやさんは昔風の人だった」と振り返っている。ただ、「ドリフターズが中心にやって関東の牙城を守った」とドリフの功績も讃えている。

 この「土8戦争」は「ドリフ」と「ひょうきん族」の対決に限っては、最終的にフジテレビ側が勝利したと言える。だが、間もなくTBSがスタートさせた加藤茶と志村さんによる『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が好評となり、「ひょうきん族」も1989年に終了することとなった。

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