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布袋寅泰、BOOWY解散理由は「墓場まで持って行く」氷室京介との不仲、結成初期の女性トラブル原因か<共演NG?【犬猿の仲】の有名人>

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布袋寅泰

 ギタリスト・布袋寅泰の公式インスタグラムが24日までに更新され、偽アカウントへの注意喚起を行った。「【注意喚起】Staffより」として「布袋寅泰公式SNSアカウントを装った偽のInstagram・Twitterアカウントが発見されています」とし、不審なダイレクトメッセージやフォローリクエストを受け取った際の対応について「記載されたURLにはアクセスしない」「アカウントのブロック」「ダイレクトメッセージの削除」「フォローリクエストの拒否」を呼びかけた。

 布袋は1981年、元歌手・氷室京介らと共に暴威(後に「BOOWY」と改名)を結成。翌82年発売のアルバム『MORAL』でデビューすると、一躍トップスターへと上り詰めた。1987年12月に解散を発表し、翌88年4月のライブ『LAST GIGS』をもって活動を終了。人気絶頂の最中、ファンに惜しまれつつも解散した理由は現在に至っても明かされることなく、布袋と氷室の不仲説が有力視された。

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 2019年5月、ニュースサイト『WEZZY』では両者の確執について「たとえば、『バンドで人気を二分していた布袋と氷室がライバル関係にあった』『結成初期に布袋が交際していた女性を氷室が奪った』というゴシップのほか、『バンド解散時、当時のマネージャーが氷室ではなく布袋をパートナーに選んだ』ことなど」といった説を挙げている。

 とはいえ、これらのうわさについて両者が反応することはなく、どれもうわさの域を出ないものであった。だが2006年、布袋は自伝エッセイ『秘密』(幻冬舎)の中で、BOOWYの解散理由を「墓場まで持って行く」と意味ありげにつづり、ファンのさらなる憶測を招いたのだ。

 「BOOWY解散後、布袋は元メンバー・松井常松、高橋まこととは共演を果たしていましたが、氷室だけは実現していません。また、氷室が2011年6月に開催した東日本大震災復興支援チャリティソロライブでBOOWYの曲を熱唱したことが布袋の怒りを買い、さらに両者の対立は深まったといった報道もありました」(芸能ライター)

 しかし、同サイトは氷室のチャリティライブについて、布袋は当時のブログで「氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」と言及し、報道を否定したと報じている。

 そんな中の2014年7月、氷室が両耳の難聴などを理由にステージ活動からの引退を宣言。多くの人々に衝撃を与えた一方で、同時に注目されたのが布袋の“反応”だった。だが布袋は同月、「もし彼が本当にステージから姿を消してしまうなら 最後のステージはせめて一曲でも 隣りでギターを弾かせてほしい そう願うのみ」と自身のブログにつづり、名前こそ出していないが氷室へと思われる熱い“ラブコール”を送ったのだ。

 これに、高橋は自身のツイッターで「そうか、布袋さんがそんな事言ってましたか」と、複雑な心境をのぞかせた。だが、布袋の思いは届かず、両者が共演する姿は見られなかった。

 2016年6月、布袋が自身のブログで氷室のラストライブ(同年5月、東京ドーム)を観覧していたことを告白。布袋は、「耳の不調と戦いながら、35曲をフルパワーで歌いきったボーカリスト魂、最後まで貫かれたストイックな美学に心震え、感動しました」と感慨深げにつづり、「貴方と出会い、貴方の隣でビートを刻み、歌い、踊り、笑顔を交わせたことは、ギタリストとして最大の喜びであり誇りです」と氷室への最大限のリスペクトを表現した。

 氷室のライブは、1985年リリースのBOOWYのアルバム曲「DREAMIN'」で幕を開け、全35曲のラストナンバーには1986年のBOOWYのシングル「B・BLUE」を選曲。まるで、両者の確執を一蹴させたかのようなライブにも思えた。

 現在、布袋は英・ロンドンを拠点に活動。一方の氷室はアメリカ・ロサンゼルスに在住し、音楽から離れた生活を送っているとみられる。今後、何らかの形で共演する日が訪れるだろうか。

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