今年の二宮は1本の主演ドラマ、2本の主演映画が矢継ぎ早に公開されて、ソロ活動後最大級の忙しさ。「24時間テレビ」決定後も関連仕事に追われ、この勢いは下半期まで持続しそうだ。
>>『鉄腕DASH』ゲスト出演の嵐・二宮に対し「いじめに見える」「やりすぎ」ハチの巣の増築を手伝わせ物議<<
今でこそ芸能稼業にマッチングしている二宮だが、ジャニーズ事務所に入所した96年から3年ほどは辞めることばかり考えていた。もともと野球少年で、将来は実家の工場を継ぐつもりだったため、アイドルを少しかじって燃え尽きてしまったのだ。
ジャニーズJr.だった99年の正月に、故・ジャニー喜多川氏から手渡しでお年玉をもらったその場で、「辞めます」と伝えた。「裏方、監督、舞台の演出家をやってみたいので、応援してもらえませんか?」とお願いすると、内諾された。
「約束では、その年の末に辞められるはずでした。なので、9月に慰安のつもりで誘われたハワイ旅行に喜んで赴きました。でも、現地に到着すると嵐のデビュー記者会見が開かれました。ジャニーさん詐欺に引っかかったのです」(芸能ライター)
納得できなかった二宮はデビュー決定後、櫻井翔と一緒にジャニー氏の豪邸に出向いた。再度、「辞めたい」と伝えるためだ。櫻井は慶應義塾大学への進学が決まっていたため、学業一本に絞ろうと考えていた。ところが、その日はあいにくジャニー氏が不在。受信していたファクス用紙に、自分たちのグループ名が「嵐」に内定した旨が書かれていた。漢字1字という非現実に、絶望したという。
嵐として始動する前、同様に退所を打ち明けていたのは大野智。現在、公の場から姿を消しているが、ジュニア時代から才能はピカイチ。そこを見逃さなかったジャニー氏は、大野が高校を1年生で退学した直後に京都府で開幕したミュージカル「KYO TO KYO」のメイン級に抜てき。居住を強制的に京都府内に移させた。
およそ2年間のロング公演を終え、帰京した大野は退所を決意。ジャニー氏に打ち明けたが、次から次へと新しい仕事を振られ続けた。そして、9月のハワイ会見まで“延ばされて”しまった。
嵐5人のうち3人が辞める気満々だったデビュー前。ノリノリだった松本潤と相葉雅紀の方が異質だったようだ。
(伊藤由華)