今春は、主演ドラマ「マイファミリー」(TBS系)が全話2ケタ視聴率のままフィニッシュを迎え、主演俳優としての面目を保った。12月9日には北川景子と夫婦役を務める映画「ラーゲリより愛を込めて」が封切られ、勢いはとどまるところを知らない。
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ジャニーズの俳優では押しも押されもせぬ存在となった二宮だが、10代のジャニーズJr.時代は人気がなかった。日刊スポーツ主催の「ドラマグランプリ」で新人賞を獲れず、ジャニーズの連続首位記録がストップしたほど。このとき故・ジャニー喜多川氏は、「なんでジャニーズなのに人気ないんだよ」と、落胆する二宮をさらに奈落の底に突き落としている。
当時、人気が上位のJr.は相葉雅紀。二宮と同期の96年入所だが、人気は雲泥の差だった。実家が同じJR総武線だったことから、レッスン後はしょっちゅう一緒に帰っていた。のちに「チーム総武線」と総称された面々は、KAT-TUNの亀梨和也、風間俊介、退所した山下智久などだった。
Jr.が主役になれる番組といえば、「ザ少年倶楽部」(BSプレミアム)。二宮や相葉は前身番組の「アイドルオンステージ」に出ていたが、このころすでに相葉には収録会場である東京・渋谷のNHKホールに出待ち・入り待ちのファンが大勢いた。Jr.にはマネージャーがつかない。相葉ファンをさばく役割を買って出たのが、二宮だった。
「“ニノマネージャー”が大活躍したのは、相葉くんの誕生日(12月24日)。クリスマスシーズンでもあるので、ファンもプレゼントも殺到。NHKの西口付近から入口に入るだけで1時間かかったこともあり、長蛇の列をさばいていたとか。荷物やプレゼントを持ってあげたりして、当時は互いが疑問を抱かなかったそう」(古参のアイドルライター)
二宮は、幼いころから芸能界に興味がなかった。二十歳を過ぎても続ける気持ちは毛頭なく、一般職への就職、実家の工場を継ぐことを考えていたほどだ。
用心棒兼業マネージャーも、意外と向いていたかもしれない!?
(伊藤由華)