菊地氏の登場で、視聴者からはSMAPに関する質問などが飛んだ。そのなかで、「キムタク(木村拓哉)を操作しているのは奥さんの工藤静香さんなんですか?」という質問が。菊地氏は、「そんなこともないんじゃないですか。奥さんも芸能人だから家の中でアドバイスするようなことはあっても、操作するってほどでは……」と、一部ではSMAP解散の「元凶」とも報じられた工藤の操作性を否定した。
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工藤は2000年12月、木村との結婚と妊娠を発表し、2001年5月に長女でフルーティスト・Cocomiと2003年2月に次女でモデル・Koki,を出産。今では、2人の娘をプロデュースする“偉大な母親”というイメージが強いが、木村と出会うまでの工藤は“恋多き女”としてマスコミをにぎわせてきた。
なかでも、工藤が10代半ばだったころに熱愛が報じられた、同い年のタレント・諸星和己は木村の“大先輩”にあたる。諸星は80年代後半から90年代前半にかけて光GENJIのメンバーとして絶大な人気を誇り、社会現象まで巻き起こしたスーパーアイドルだ。
2020年7月、『週刊女性』(主婦と生活社)は、工藤の男性遍歴を振り返り、諸星との詳細も記している。記事によると、同い年の2人が出会った当時、まだジャニーズJr.だった諸星が工藤の大ファンで、工藤が通う高校まで押しかけアピールしていたと報じた。
やがて、2人はほどなく付き合い始めたという。当時もだが、アイドルの交際は御法度といわれ、2人も「秘密裏な交際」だったようだ。
しかし記事では、「光GENJIファンの間では“静香とデキてる”」と、すぐうわさになったといい、その原因は「諸星がコンサート中に突然、静香の曲『MUGO・ん…色っぽい』(1988年発売)を歌いだしたり、“工藤静香の『抱いてくれたらいいのに』(同)は俺のための歌だ”なんて言い放ったから」と、諸星が何万人という自分のファンの前で工藤との交際を”匂わせ“たと報じた。
一方の工藤も、大胆な行動に出ていたという。同記事によると、光GENJIのファーストコンサートをお忍びで鑑賞した工藤だが、発売されたコンサートビデオに映り込んでいたというのだ。これには“クールビューティー”をウリにしていた工藤に対して「ジャニーズアイドルのコンサートに行くなんてね。最近の“匂わせ”なんかとはレベルが違いますよ」と、同誌にタレ込んだ“スポーツ紙記者”が苦笑するほど。
「諸星は、2004年の自著『くそ長〜いプロフィール』(同)で、『18歳のときに結婚をしようと言った彼女がいた』と相手を伏せて記しており、工藤ではないかとささやかれています」(芸能ライター)
だが、諸星は伴侶ではない。前出“スポーツ紙記者”によれば、破局は「自他ともに認めるほど、当時の諸星は遊び人」との理由で、「諸星の女遊びのたびに離れたりくっついたりしていたけれど、結局、諸星が静香の友人でもあったアイドルに手を出しちゃって」としている。その結果、工藤は「愛想を尽かした」と明かした。その時期は不明だが、工藤は1989年ごろから歌手・田原俊彦との熱愛もうわさされていたことから、破局は互いが10代の頃だとみられる。
その後も工藤は名だたる著名人と熱愛を繰り広げ、諸星の後釜となった“スーパーアイドル”の木村を手に入れた。
工藤が発信するSNSは話題となり、特にお手製の料理は世間からの関心も高いようだ。家族の健康管理も怠らない良妻賢母でありながら、長きにわたり芸能界の第一線で活躍し続けている。“20世紀最後のビッグカップル”といわれた夫妻の一挙手一投足に注目が集まる。